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追いつけない!夢に届いた叔父からの悲しい知らせ

不思議体験

 

私は一人っ子です。
たとえ兄弟がいなくても、友達が多ければ寂しくはなかったのでしょうが、あいにく私は病弱でした。
幼稚園時代の記憶といえば幼稚園での生活の記憶よりも、病院に通ったり、入院をしていた記憶のほうが鮮明に残っています。ですから、元気に外を走り回ることができたこと自体少なかったのです。

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わたしには叔父がいました

八歳で終戦を迎えた父は、七人兄弟の長男でしたから叔父叔母と従兄弟は数が多く、父に連れられてバスで一時間ほどかかる父の実家に行くのは親戚がいるので楽しみでした。
その中でも父の一番下の弟である叔父は私とよく遊んでくれました。
私もこの叔父に会うのをとても楽しみにしていたことを覚えています。

 
叔父はまだ二十代の若さで、画家を志望している、ということぐらいしか当時の私にはわかりませんでした。
鉛筆のスケッチで私の顔を手早く描いてくれて喜んだことを覚えています。

 

 

夢の中の叔父は悲しげな顔をしていました

五歳の頃、私は昼寝中に不思議な夢を見たのです。
夢の中に大好きな叔父さんが出てきたのですが、叔父さんはいつものように遊んでくれようとはせず、悲しそうな顔をしたまま立ち去ろうとするのです。
「どうしたの、叔父さん、遊んでよ」と私は追いかけるのですが、不思議なことに叔父さんは足を動かしていないのに向こうへと滑るように動き、どうしても追いつけないのです。
そこで目が覚めました。

 

 

悲しい知らせが届きました

東京にいるはずの叔父の夢を見て、何か言い様がない感覚にとらわれて居間に行くと、母が紙切れを握りしめて泣いているのです。
それはたった今届いた、叔父がなくなったことを知らせる電報だったのです。
五歳の私にはその意味する所は正確には分からなかったのですが、男女を問わず、これほど多くの大人が泣いているのを見たのは初めてだったことは鮮明に覚えています。

 
物心ついてから聞いた話では、画家を目指していた叔父は、生活のために高いところで看板描きのアルバイトをしている最中に誤って転落して亡くなってしまったということです。

 
最初は警官になったのに、どうしても絵が好きでその道を志した叔父でした。
恐らく、思うように画家としての芽が出ない日々、安定した職業を辞めたことで風当たりも強く、鬱屈していたことだったのでしょう。
そんな中で小さい私を可愛がってくれたのかもしれない、と思いました。

 
そして、その私に最後のお別れを夢のなかでしてくれたのではないかと思うことにしています。
人間の記憶は後からの情報に左右されて作られるものだ、という科学的な考え方よりも、例え非科学的であっても叔父は私に会いに来てくれた、と思って忘れないでいてあげることが供養の方法の一つだと思っています。

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カテゴリ: 不思議な体験談

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