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「第六感」を生み出すもの、阻害するもの


第六感を説明するための材料として、「経験値の豊富さ」や「五感を研ぎ澄ます能力」などがあげられたりするのですが、一方で、「古代の人類よりも現代人のほうが、第六感を発揮できないケースが多い」、ともいわれています。

こういったケースは、オカルトの領域であるところの「霊感」にも通じるところがあり、映画やドラマにおいても、「小さい子供だけが霊を感じることができる」、といった描写がなされることは少なくありません。

経験値が多い大人が感じることができないという「第六感」について、さらに考察を掘り下げていきます。

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便利すぎる世の中も第六感を阻害している?

「経験値を積みすぎると第六感が鈍る」という説明では、選択肢が豊富になりすぎて、考えたり選択の判断をおこなっていることが、「第六感」を含めた「感覚の先鋭化」を鈍らせていることが考えられます。

また、一説によると「便利すぎる現代の世の中の状況が、第六感の退化を促進してしまっている」ともいわれています。情報が何もない、または感覚を研ぎ澄ましたり、想像力や妄想力(仮説の一種として捉えることができます)をもってしか情報を得ることができないような状況では、いわゆる「第六感」が活発に働きそうです。

しかし、ネットをはじめとした手軽な情報収集や、特に考えることなく便利に使える道具に囲まれて暮らしている中では、五感を超える能力はそもそも必要とされず、太古の人類との比較において「第六感が退化」してしまっている可能性も否めません(あくまでも「第六感」が存在している、という前提ですが)。

 

「なんとなく」の重要性

それから、「第六感」的なものの発揮の一例として、世の中の「成功者」や「ついている人」の行動を考えてみましょう。

ごく一般の「普通の人」であっても、あとからうまくいった理由を問うてみた場合にあげられる頻度が非常に高いのが「なんとなく」です。無数にある選択肢、さらにそれが重層的に積み重なり、何千万通りもある選択肢の中で、ごくわずかな「うまくいった体験」を手にできる理由が、成功者本人も自覚することができないような「なんとなく」であることが、いかに多いことでしょう。

このことは、五感や論理的思考以外にも、物事をうまくいかせるための「何者か」が存在している一つの根拠となっています。もしそれが「第六感」だったとすると、あらゆるシーンでこれを使わない手はないのではないでしょうか。「なんとなく」と「第六感」、この関係性はさらに検証する価値がありそうです。

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カテゴリ: その他

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