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呪術師・卑弥呼伝説「日食」の深い関係

卑弥呼

平安時代に伝来した暦は、現代日本の占いの要です。
奈良時代の前の飛鳥時代といわれた時代、海を渡って伝来してきた麟徳暦や儀鳳暦に基づいて、陰陽道を教えていた陰陽博士の詰める陰陽寮に、暦を作成するため暦博士も詰めるようになりました。
暦博士は日食の日を予測するために暦作成に取り組んだり、伝来したばかりといっていい暦について教えたりしていたといいます。

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日食の予測が必要な理由は政策絡みだった

日食の日を予測する大切さ、というのは現代人にはなかなかピンと来ないかもしれません。
日食は現代人にはしごく安全かつナチュラルに受け入れられている観測対象ですから、珍奇さから大フィーバーとことはあっても、なかなか恐怖の対象とはいいにくいものです。

ところが、天文学が今程には発達していなかった古代、暦伝来の300年程前の倭の女王卑弥呼の頃、この女王の死因は、一説に日食の日に霊力を失ったと見なされ、反逆されたからだとも言われています。
これは、天文学者の斎藤国治氏、他多数の人々の支持をえているという説です。

いわば太陽神に仕え、人々に日照による稲作収穫を約束する巫女としての能力に不信感を抱かれたが故に、『年老いたために殺す』と長期政権に幕を閉じさせられたということだそうです。

 

精神的にも稲作にとっても恐怖だった日食

太陽神を奉ずる稲作村落にとって、皆既日食はいつ太陽が姿を再度現すかわからない、神話上の天の岩戸事件のような大騒ぎを惹き起こす凶兆ということになります。
247年3月の夕方、そして248年9月の朝という、古代朝鮮や中国の史書にある卑弥呼の死と倭国の乱世の時期の最中、2度に渡り皆既日食が有ったというのは、その頃の倭の国の人々には大変な脅威でかつ、政敵の狙い目でもあったということなのでしょう。

天文学が古代エジプト、そして古代ギリシャほどにも発達していたなら、決して起こり得ない話なのですけれど、暦が採り入れられ、日食の日を数えるようになったのはそれより何百年も後ということになりますので、歴史がこうなってしまったんですね。

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カテゴリ: 占い

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