> >

引き金はソロモンが引いた?君主亡き後の古代イスラエル王国の行方

fbb21b4995e23bf7f142e67b9c29c366_s
紀元前10世紀頃まで、イスラエル王国の栄光を担ってきたソロモン王ですが、晩年にはユダヤ教以外の宗教を容認したことから、民衆の宗教的な対立を生み出し、さらには政治腐敗や労働者のブラック問題、富の偏在による不満の膨張など、現代の日本にも通じるような社会問題を勃発させてしまいます。

このような状況をきっかけにイスラエル王国は急激に弱体化し、ついには国家分裂にまで及んでしまいます。

スポンサードリンク


 

ソロモンの死後すぐに分裂へ

さすがにソロモン王の存命中は分裂することなくなんとか統一国家を保っていたイスラエル王国ですが、紀元前922年頃、ソロモン王の死後わずか10年程度の時期に、ぎりぎりの統制力しか残っていなかった部族間をつなぐ糸は一気にほころび、大きく南北ふたつの国、新生イスラエル王国とユダ王国に分裂することになります。

人口・面積ともにユダ王国をしのいでいた新生イスラエル王国ですが、結束力としては「反ユダ王国」という大義名分で集まっているにすぎず、王が頻繁に交代したり、近隣の大国であるアッシリアやバビロニアの圧力に常にさらされるなど、ソロモン王の時代とは比べ物にならないほど不安定な情勢にさらされることとなりました。

 

イスラエル王国の滅亡

イスラエル王国の分裂後、およそ20人ほどの君主交代を経て、ソロモン王の死亡、および王国の南北分裂からおよそ200年後の紀元前722年頃には、イスラエル王国もユダ王国もバビロニアやアッシリアなどによって滅ぼされてしまいます。その後もイスラエルはさまざまな大国の意志や政治情勢、宗教紛争などに翻弄され続け、統一国家を建設することなく現在に至っています。

「悪魔を支配していた」というソロモン王のイメージが、後世に作られることとなった遠因は、結果的にソロモン王統治後に起こった分裂に端を発しているのではないか、と思われます。ソロモン王没落のきっかけのひとつとなった、荘厳なエルサレム宮殿(ソロモンの宮殿)も、紀元前586年頃に破壊されています。

このようにソロモン王は、「ユダヤ第一の賢者」という評価を得ている一方で、「イスラエル崩壊の原因を作った人物」として批判的な意見も数多く集めるという、君主としても識者としても大変にユニークな評価を持つ人物でもあります。西欧の人々が持っている、「天使から授かった能力で悪魔を支配していた」というソロモン王のイメージは、まさに彼がイスラエル王国で体現してきた歴史そのものである、といえそうです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.