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メガラニカ大陸と日本。江戸時代の日本で既に知られていた?

メガラニカ大陸

 

古代ギリシャの仮説に始まり、大航海時代に活躍した、マゼランやキャプテン・クックの陸地発見を経て、南極大陸にまで至った末に消滅した「南半球に巨大大陸が存在する説」、つまりメガラニカ大陸の実在可能性なのですが、その経緯において、日本でもその存在が取り沙汰されていた時期があったようです。

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黒瓦臘尼加=メガラニカ大陸

日本でメガラニカ大陸が紹介されている書物で、もっとも古いもののひとつとされているのが、江戸時代中期である1708年(宝永五年)、天文学者の西川如見が著したとされる「増補華夷通商考」という書物です。
ここに掲載されている「地球万国一覧之図」では、日本で初めて南北アメリカが表現されていたことに加えて、現在のオーストラリアや南極大陸に相当する場所、つまり南半球の最南端に、「黒瓦臘尼加(カナに読み替えるとメガラニカとなります。「黒」は「墨」の誤記、といわれています。)」が記されていた、といいます。

 

 

中国で提唱されていた説を引用?

西川如見は、その著書のベースを中国天文学においているといわれ、メガラニカが漢字表記であったことも合わせて、おそらく中国から伝わっている世界地図を参考にして、「増補華夷通商考」を著したのではないか、と思われます。

 
この著書に先駆けて発表した「華夷通商考」は、日本で最初の世界地誌といわれていますが、最初の刊行時点で、既にかなり正確な西欧の地図も表現しており、西川如見は、当時ヨーロッパで浸透していた説をも把握していた、と考えられます(西川氏が、江戸時代における海外との貿易地であった、長崎出身であったことと関係しているのではないか、と思われます)。

 

 

南極大陸は偶然一致したもの?

日本においても、当時のヨーロッパ諸国の見解と同様に、「オーストラリアの先には、メガラニカ大陸として伝承されている、地続きの大きな大陸が存在していた」、と考えていたことがわかります。

 
現在では、オーストラリアの先には南極大陸があることがわかっており、江戸時代当時の地図には表現されていないことから、「南極大陸の存在が、世界的に封印されていた時期なのではないか」、逆に「江戸時代に既に、南極大陸の存在が確認されていたのではないか」、といった見方も存在していますが、南極に関する憶測は、当時メガラニカ大陸が信じられていたこと、つまり「北半球に匹敵するような巨大な大陸が存在していた」、とされていることによる偶然の産物ではないか、という見方が大方の見解となっています。

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カテゴリ: その他

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