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鬼の姿が「大きな角に虎のパンツ、金棒」のイメージで定着した理由

鬼
 
現代の人が鬼を描くとしたら、どんな姿になるでしょう?
赤や青の大きなカラダ、四角張ったゴツい顔、頭から生えた二本の角に口からは鋭い牙、身につけているのは虎のシマ柄パンツで、手には大きな金棒を持っている。
そんな典型的な鬼の姿が生まれたのは、いつの頃からなのでしょうか。

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日本の古代、古事記や日本書紀、風土記の世界に登場する鬼は、実はこんな姿をしてはいません。ひとつ目の鬼や大きな笠を身につけた異形の鬼は登場しますが、頭の角や牙は無く虎のパンツもはいてはいないのです。

歴史は下って、やがて鬼がたくさん登場する時代になります。それは平安時代。京の都で390年続いた華やかな貴族文化のこの時代は、一方では長く続く混沌とした時代でもあり、都の華やかさの裏側では魑魅魍魎(ちみもうりょう)がうごめく時代でした。

 

平安時代の物語に次々に登場する鬼たち

平安時代といえば「かな」による表現が盛んになり、多くの物語文学や随想的文学がつくられました。そういった「かな文化」「物語文化」を背景として、鬼たちが数多く登場してくるのです。

例えば、平安時代初期の歌物語である「伊勢物語」第六段の「芥川」には、女を食べる鬼が出てきます。
歴史物語である「大鏡」の「右大臣師輔」の項には、九条殿が百鬼夜行(ひゃっきやこう、京の都を深夜に鬼や妖怪の群れが徘徊する)に出会った話があります。
また「枕草子」の第153段「名おそろしきもの」には、牛と鬼が合体した牛鬼が語られています。
そして、鬼の話といえば「今昔物語」。小野篁(おののたかむら)と藤原高藤が百鬼夜行に出会った話や羅城門の鬼の話、巻27に記された様々な鬼の話など、多くの鬼たちが登場します。

このように平安時代は多くの鬼が語られ、物語文学を通じて人々に怖い鬼という存在が広がって行った時代だったようです。

 

陰陽道と結びついた鬼

平安時代には一方で、安倍晴明の陰陽師に代表される「陰陽道」が盛んになりました。陰陽道についての詳しい紹介は省きますが、簡単に言うと万物の成り立ちを陰陽思想と木・火・土・金・水の五行思想を組み合わせて解釈し、方位や天文、暦などを取り入れて吉凶を判断する占術や災いの払いなどを行うものです。

この陰陽道によると、北東=艮(うしとら、丑と寅の間)の方位は、鬼が出入りする「鬼門」としました。つまり鬼は「丑=牛」と「寅=虎」で表されるというわけです。ですから鬼の姿は、牛の角と虎のパンツ。そんなところから、現代にまで続く鬼の典型的なイメージが生まれたのですね。

また、これは諸説がありますが、鬼の四角張った顔は自分たちが住む世界とは違う「異界」の人たちの古代からのイメージを象徴し、手に持つ金棒は古代の製鉄と結びついた鬼たちの道具の象徴ということではないでしょうか。

ちなみに方位を動き吉凶をもたらす方位神のなかで、金神(こんじん)はあらゆることで凶をもたらすとされ、なかでも艮金神(うしとらのこんじん)は最凶の方位神と言われています。

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