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異説!倭国・邪馬台国は日本列島ではなかった!?

アマテラス
 
 倭国を日本列島内の国だという解釈が定着しています。卑弥呼の邪馬台国もこれを前提にして北九州説や奈良県説が唱えられています。本当にそうなのでしょうか。原典を徹底的に比較考究する比較文献史家の山形明郷氏の見解を紹介します。なお本稿は他文献の引用はしておらず文責は筆者にあります。

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1. 古朝鮮の成立と推移

 古朝鮮は遼東半島の北東の地域にあったようです。

 
(1) 萁子朝鮮

 殷の紂王の乱行を諌めた叔父の萁子が紂王の追求を逃れ、遺臣を引き連れて遼東方面に建てた国です。殷を倒した周の誘いに応じることなく独立を保ちました。

(2) 衞氏朝鮮

 前漢の功臣の衞満が漢の粛清をさけて萁子朝鮮の箕準を頼って亡命し、後に簒奪して建てた漢族中心の国が衞氏朝鮮です。3代目の王が漢に逆らったため漢の武帝に滅ぼされました。

(3) 朝鮮の地は漢の直轄に

 漢の武帝は朝鮮の領国を直轄地とし、4郡(楽浪、臨屯、真番、玄菟)に分けました。奉天から遼東半島にまたがる地域です。後に臨屯と真番の地を楽浪と玄菟の各郡に統合します。これにより楽浪郡は大きな領域の郡になりました。あまりに広すぎたため、後に楽浪郡のうち南部6県と新設1県とを帯方郡として独立させます。定説では楽浪郡は朝鮮半島にあったとされますが、朝鮮半島ではなく遼東半島方面にあったのです。なお、漢の制度では郡の下部に県が置かれます。郡は県より大きな行政単位なのです。

 

2. 前三韓の成立と推移

 前三韓とは、馬韓、辰韓、弁韓を言います。魏志東夷伝にその記述があります。東遺伝では三韓を合わせて韓と総称しますが、韓の地域のうち馬韓が西部地域を占め、東部地域の北部を辰韓が、南部を弁韓が占めました。なお、辰韓と弁韓の境界はあいまいで交じり合っていたようです。

 山形氏の見解では、韓は遼東半島とその東部地域を占めていたのです。前三韓諸国の原郷は中国吉林省の一帯です。定説が言う朝鮮半島ではないことに注意してください。さらに東遺伝には、韓は「……南は倭と接す……」とあります。この表現が正しいなら、倭は韓と地続きで韓の南にあったと解釈できます。

 

3. 後三韓の成立と推移

高句麗、百済、新羅を後三韓ということがあります。これら三国は前三韓の場合と同じく朝鮮半島にあったとするのが定説ですが、本当でしょうか。

 
(1) 高句麗・百済の建国

 濊貊族(わいはくぞく)を出自とする部族が北上して扶余を建国しました。高句麗はこの扶余から別れて南下した種族が建てた国です。さらに分かれて南下した種族が百済を建国しました。中国吉林省の大長白山付近での出来事のようです。高句麗は4世紀頃に玄菟・楽浪の地を併合すると共に、遼東半島やその西部への進出を図ったようです。百済は扶余の南下と高句麗の南下とによって移動を余儀なくされ、遼東半島付近に移ったようです。もとは遼東半島より西にある地も含んでいました。

(2) 新羅の建国

 漢の楽浪郡があった地のうち高句麗の南東方向の地が発祥のようです。高句麗勢力の南下に押されて現朝鮮半島方面に移動し、6世紀中庸には全伽耶を併合したようです。

 

4. 山形氏による倭国の位置についての見解

 山形氏は、倭国の位置を中国遼東半島から朝鮮半島にかけての地とします。

 
(1) 倭国は日本列島にある国ではなく、中国の遼東半島南端から朝鮮半島の黄海に面する地域に存在した国であるとする説です。この説に従えば、倭や倭国や倭人を日本列島やそこにある国や住む人と解釈するのは誤りになります。

(2) 魏志倭人伝で「倭人は……帯方の東南大海の中にあり……」という帯方郡の位置が判断の分かれ目です。通説では朝鮮半島にあったとされますが、帯包郡は本稿で紹介したように朝鮮半島ではなく遼東半島方面にあったのですから、倭国は黄海に面し南北に伸びる朝鮮半島を指していると考えられます。

 

5.山形氏の見解まとめ

 本稿では、古代から4・5世紀の間の古朝鮮、楽浪郡と帯方郡、前三韓、後三韓の位置を確認し、それをもとに倭国は遼東半島から朝鮮半島の黄海側に面した地域にあったとする説を紹介しました。この説によれば倭国は日本列島にある国ではなかったのです。学会の定説を信じる人には受け入れ難い説ですが、否定し、無視するだけでは進歩はありません。この倭国の大陸存在説をもとに、関連する歴史を構築しなおす試みも意味のあることだと思います。

 
【参考】
 遼東半島は日清戦争の勝利によって賠償で日本が清国から割譲をうけた半島です。朝鮮半島より北西にあり、半島の西は渤海に、東は黄海に面しています。三国干渉により清国に有償で返還しました。この遼東半島の先端部には日露戦争で有名な旅順港があり、港を守る要塞の一環として付近に激戦地だった203高地があります。本稿で紹介した説では、倭の領域はこの半島から朝鮮半島南部に至る黄海に面した地域だとしています。

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カテゴリ: その他

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