> >

野望と対立の果てに…女王クレオパトラとアントニウスの最期

80d8ab34224183b3d528559e08d4e842_s
 
地中海世界の東方を支配するマルクス・アントニウスとクレオパトラ7世、そして西方を支配するオクタウィアヌス(後のローマ初代皇帝アウグストゥス)、この両者の対決は決定的なものとなりました。

アントニウスは紀元前33年から32年にかけての冬に軍をエフェソス(現在のトルコ西部)に終結させ、クレオパトラもエジプトの200隻の軍船を率いて合流します。クレオパトラは、アントニウス軍を維持するための莫大な資金を運び込んでいました。

スポンサードリンク


 

あっけなく勝敗が決したオクタウィアヌとの戦い

アントニウスは、先の和解で妻としていたオクタウィアヌスの姉のオクタウィアを離縁します。ローマの人びとは、アントニウスがクレオパトラに媚薬を飲ませられ正気を失っていると非難しました。アントニウスが勝てばローマはクレオパトラのものとなり、政治の中心はアレクサンドリアに移るだろうと、ローマ人は考えるようになります。

オクタウィアヌスは、アントニウスがクレオパトラの魅惑に騙されて祖国ローマを捨てたと非難し、それがローマ中に浸透して行きました。そして元老院には、アントニウスに対してではなくクレオパトラに対して宣戦を布告させます。戦争前の宣伝戦ではオクタウィアヌスの勝利となり、妖婦クレオパトラのイメージは定着して行きました。

紀元前31年9月、アントニウスはギリシャのペロポネソス半島のパトライ(現パトラス)に総司令部を置き、艦隊をギリシャ北西部のアンブラキア湾に終結させました。しかしオクタウィアヌスは自らの艦隊で湾の入口を封鎖し、やがてアクティウム岬沖で戦闘が始まります。

クレオパトラは敵艦隊の封鎖に切れ目ができたのを見ると、そこを自分の艦船で通過して戦闘海域を去り、アントニウスも何隻かの艦船を引き連れてクレオパトラを追いました。これは、クレオパトラとアントニウスの逃亡だったのでしょうか。この謎の行動によってアントニウス軍は敗北し、オクタウィアヌスはアントニウスが自分の軍を放棄した宣伝します。そして、アレクサンドリアに帰還したクレオパトラとアントニウスに味方するものは、すでに誰もいませんでした。

 

アレクサンドリアへ逃げ帰ったクレオパトラとアントニウス

アレクサンドリアに帰還したクレオパトラとアントニウスは、紀元前31年から30年の最後の冬を過ごします。2人はアラビア方面への逃亡も計画しますが、離反したシリア総督ディディウスに唆されたペトラのアラブ人によって紅海のエジプト艦隊が放火されてしまいます。

クレオパトラはオクタウィアヌスに和平を持ちかけ、彼女が王位と軍隊を放棄するのなら処遇を考えると回答されますが、オクタウィアヌスはアントニウスを排除するなら王国をそのまま支配させても良いと密かに伝えました。しかしこれは、クレオパトラを生け捕りにする計略だったのです。

そして紀元前30年8月、ついにオクタウィアヌスがアレクサンドリアに侵攻します。そしてクレオパトラとアントニウスがそれぞれ自殺することになるのですが、実際にどのようなことが起きたのかはっきりとはしていません。

 

アントニウスの死

同時代のギリシャ人著実家プルタルコスが語るところによると、クレオパトラが死亡したという知らせを受けたアントニウスは、自らの剣で腹を刺したが死にきれずにのたうちまわっていると、アントニウスをクレオパトラがいる霊廟に連れて来るように言われた秘書官に発見され、まだクレオパトラが生きていることを知ったのだそうです。

そしてクレオパトラのもとに運ばれた瀕死のアントニウスは、鎖と綱に括られて身体を起こされたまま、泣き叫ぶクレオパトラの目の前で息を引き取ったといいます。

一方、クレオパトラは短剣で自刃しようとしますが、オクタウィアヌスの命で交渉に来ていた部下のプロクレイウスがクレオパトラの部屋に侵入して自殺を防ぎ、オクタウィアヌスの捕虜となってしまいます。

 

クレオパトラの最期

オクタウィアヌスは自ら捕虜のクレオパトラのもとに行き、生命の保証を約束しますが、クレオパトラは生きてもローマの凱旋式典で鎖につながれて引き回されるだけだと悟り、自らの自殺を演出することを決意します。そして自殺を知ったオクタウィアヌスの使者が駆けつけると、エジプト女王の装束を身にまとったクレオパトラが黄金のベッドに横たわって息を引き取っているのを発見したそうです。

クレオパトラがどのように死んだかの真実は永遠の謎ですが、当時のローマの公式見解はコブラに噛まれてその毒で死亡したというものでした。コブラの毒は五感を麻痺させ眠くなり、熟睡するように死に至らせるというものなのだそうです。クレオパトラの腕にかすかに小さな傷が2ヵ所あったという証言もありますが、本当のところは謎のままです。乳房をコブラに噛ませたという話は後世の作り話のようですが。

またクレオパトラの墓もまだ発見されておらず、現在発掘が進められているアレクサンドリア近郊のタップ・オシリス・マグナ神殿遺跡が有力視されています。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.