> >

クレオパトラとローマの新しい実力者マルクス・アントニウス

436e336dc628bc846d2abc8f3ab24b15_s
 
ローマ最大の実力者、終身独裁官となったユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は、あっけなく暗殺されてしまいました。その愛人であり、カエサルとの間に息子のカエサリオンをもうけたエジプト最後の女王クレオパトラ7世は、おそらく大変な失意のうちにアレクサンドリアに帰ることになったのでしょう。

一緒にローマに滞在していた15歳になる弟で夫のプトレマイオス14世は、アレクサンドリアに帰ったあとすぐに死亡しています。これはクレオパトラが排除したのではないか、という説が有力のようです。

プトレマイオス14世は平凡でなんの権力もありませんでしたが、カエサルが暗殺されたいま、息子のカエサリオンをカエサルの後継者にすることは最早できないことから、エジプト王に就位させるという方針に変更したのだと想像され、単純にプトレマイオス14世が邪魔になったわけです。

スポンサードリンク


 

ローマの分割とエジプトの位置

共和政ローマでは、カエサルが暗殺されたあと、カエサルの第一の腹心であったマルクス・アントニウス、カエサルが大叔父で後継者に指名されていたオクタウィアヌス(後のローマ初代皇帝アウグストゥス)、軍人で最高神祇官となったレピドゥスが「三人委員」となってローマを治めることになります。

マケドニアのフィリッピの戦いで、カエサルの暗殺者であるマルクス・ブルトゥス(ブルータス)やカッシウスをアントニウスとオクタウィアヌスが破ったあと、ローマの領土は分割されてアントニウスは地中海世界の東方を支配し、オクタウィアヌスは西方を支配することになりました。このときレピドゥスは、カエサル暗殺後に蜂起したポンペイウスと共謀していたとして排除されています。そしてクレオパトラのエジプトは、アントニウスの支配権のなかに位置していたのでした。

 

女神アフロディーテと豊穣の神ディオニュソスになぞらえて

東方の支配者としてアントニウスは、ギリシャからエフェソス(現在のトルコ西部)を巡り、紀元前41年にはシリアに向かいます。そしてそこからアレクサンドリアに使者を送り、クレオパトラにタルソス(現在のトルコ中南部)にまで来るように伝えます。クレオパトラはじらすように日にちを置き、何度目かの召喚状を受け取るとようやくアレクサンドリアを出発しました。

タルソスに現れたクレオパトラは、多くの人びとに強烈な印象を与えました。ギリシャの著述家プルタルコスの報告によると、「クレオパトラは、船尾が黄金で飾られ緋色の帆が張られた船に乗って、キュドノス川を遡行して来ます」「漕ぎ手は竪琴や葦笛の音を伴奏に、フルートの音に合わせ銀の櫂を漕いでいます」「クレオパトラは絵画の女神アフロディーテのように着飾り、金糸の布で織られた天蓋の下に横たわり、その両横にはキューピッドに扮した少年が立ち、美しい侍女たちは海神の娘のニンフの衣装を着て、船の甲板のあちこちに立っていた」ということです。

このときアントニウスは広場の演壇で裁判をしていましたが、人びとがクレオパトラを見ようと河辺に行ってしまい、アントニウスは独り取り残されてしまったそうです。アントニウスはギリシャや小アジアで自らを、ギリシャ神話の豊穣と酩酊の神ディオニュソス(ローマ神ではバッカス。エジプトではオシリスと同一視された)になぞらえていましたが、人びとは「アフロディーテが幸福をもたらすため、ディオニュソスのもとにやって来た」ともてはやしました。

すべてはクレオパトラの演出のもとに神々の婚姻になぞらえられ、アントニウスは彼女の虜となり愛人としたのでした。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.