玉座を我が物に!クレオパトラとプトレマイオス13世の覇権争い
ローマ最大の実力者となったユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)との劇的な出会いを演出し、自身の魅力で虜にしたエジプト最後の女王クレオパトラ7世は、対立する弟で夫のプトレマイオス13世とのかたちの上での和解に成功し、再びエジプトの共同統治者となりました。
しかしその平和は、わずか15日間しか続かなかったのです。
カエサルとクレオパトラを攻めるエジプト軍
カエサルがローマから率いて来た兵力は、騎馬800頭に兵士3,200人とわずかなものでした。その少数の軍で、50万人から100万人近くの住民がいたという世界最大の都市アレクサンドリアの治安を維持するには無理がありました。
クレオパトラとの和解に納得しないプトレマイオス13世の側近たちは住民たちを煽動し、さらにナイル川下流地帯のペルシオンに駐留していた22,000人の兵士たちをアレクサンドリアに進軍させます。
カエサルは王宮地区に閉じ込められ、王室専用の港を奪取しようとするプトレマイオス13世一派に対抗するために、エジプト軍の艦船に火を放ちました。火は燃え広がり、このとき古代世界最大の図書館と言われるアレクサンドリア図書館も破壊されてしまったという説もあります。
女王になろうと敵対する妹
アレクサンドリアの王宮にはクレオパトラとプトレマイオス13世のほか、16歳の妹のアルシノエ4世もいました。アルシノエ4世は、この混乱に乗じて自分が女王になろうと考えていました。そこで戦いが起こると宦官のガニュメデスを連れて王宮を脱出し、エジプト軍を率いるプトレマイオス13世一派の司令官であるアキッラスと合流します。
しかし、自分の宦官であるガニュメデスとアキッラスが対立すると、アルシノエ4世はアキッラスを殺害させて全権を掌握し、ガニュメデスを軍の司令官にしてしまいました。
一方、王宮ではカエサルによってプトレマイオス13世が捕らえられていましたが、プトレマイオス13世一派内の対立を煽るというカエサルの思惑によって釈放されます。エジプト軍と合流した王はただちにガニュメデスを殺害し、自らが軍の指揮をとることにしました。
クレオパトラの勝利
しかしカエサルは、すでに増援部隊のアレクサンドリア派遣をローマに要請していました。
紀元前47年、カエサルの盟友であるミトリダテスが率いるローマ軍は、ペルシオンを占領したあとメンフィスを経由してアレクサンドリアに進軍し、カエサルの部隊と合流、エジプト軍は殲滅されて大半はナイル川のデルタ地帯で虐殺されました。プトレマイオス13世は逃げますが、ナイル川に身を投じて自害してしまいます。アルシノエ4世は追放されローマに送られました。
こうしてクレオパトラはついに、国内に対立する者のいない女王となったのです。兄弟姉妹婚の伝統からクレオパトラは、残った11歳の弟プトレマイオス14世と結婚します。しかし本当の愛人はユリウス・カエサルでした。
カエサルは合わせて9ヶ月間もの間エジプトに滞在し、クレオパトラとの月日を過ごします。
やがてカエサルは旅立ちますが、エジプトにはローマ軍3個軍団が駐留しクレオパトラを護りました。そして紀元前47年6月にクレオパトラは、カエサルとの間の息子カエサリオンを産むのです。