> >

古代エジプト最後の女王クレオパトラのルーツがわからない理由

egypt-703546_640
 
シリアから嫁いで来たクレオパトラ1世に始まる、古代エジプト・プトレマイオス朝の女王クレオパトラの系譜。
その孫であるクレオパトラ3世は、エジプト神話の女神であるイシス神と同一視され「イシス、神々の偉大なる母」と呼ばれ、後の時代に最後の女王となるクレオパトラ7世の登場を予感させるものでした。

スポンサードリンク


 

クレオパトラ3世が亡くなると一挙に政情不安となるエジプト

クレオパトラ3世は、プトレマイオス8世エウエルゲテス(善行者)との間の息子であるプトレマイオス9世ソテル(救済者)を退位させ、その弟のプトレマイオス10世アレクサンドロスを王位に就けます。プトレマイオス9世の妻は、同母姉妹であるクレオパトラ4世とクレオパトラ5世セレネだったようです。

クレオパトラ4世が母のクレオパトラ3世によって追放されると、今度は妹のクレオパトラ5世セレネがプトレマイオス9世と結婚し、娘のクレオパトラ・ベレネケが生まれます。しかし、プトレマイオス9世が退位させられてエジプトの統治下にあるキプロスに追いやられ、王位に就いたプトレマイオス10世アレクサンドロスはこの姪のクレオパトラ・ベレネケと結婚します。

エジプト全土を掌握していたクレオパトラ3世が紀元前101年に亡くなった後、プトレマイオス10世は、かつてエジプトを平定しアレクサンドリアの都市を造ったアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の金の柩を持ち去って鋳つぶすという事件を起こします。それにより、アレクサンドリアの都市では暴動が起きてプトレマイオス10世は追放されてしまいます。

 

正統な跡継ぎが失われた日

この事件により、キプロスから兄のプトレマイオス9世が戻ってエジプトを統治しますが、その死後にあとを継いで王になったのはプトレマイオス10世の息子のプトレマイオス11世アレクサンドロスでした。これは共和政ローマの指導者スッラの命令によるもので、地中海世界においてエジプトに対するローマの影響力はとても大きくなっていたのです。

プトレマイオス11世は、父の妻でありプトレマイオス9世の死後に実権を握っていたクレオパトラ・ベレネケと強引に結婚します。しかしプトレマイオス11世はクレオパトラ・ベレネケを暗殺してしまい、彼自身もこの暗殺事件に怒ったアレクサンドリア市民の暴動によって殺害されてしまうのです。

プトレマイオス11世とクレオパトラ・ベレネケとの間には当然、子供がいませんでしたし、亡くなっていたプトレマイオス9世とクレオパトラ5世セレネとの間の子はクレオパトラ・ベレネケだけでしたから、とうとうプトレマイオスという名を持つ王とクレオパトラという名を持つ女性の間に生まれた子どもは、ひとりもいなくなってしまったのでした。

 

名もなき母から生まれた王

それはまさに、プトレマイオス朝エジプトが始まって以来の王朝の危機でした。
プトレマイオス11世がローマの命令であとを継いだように、地中海世界とエジプトに対するローマの影響力はますます強くなっており、この危機にローマが乗じる畏れがあります。

そこでエジプトとアレクサンドリアの人びとは、プトレマイオス9世の庶子である2人の息子を王位に就け、ひとりをプトレマイオス12世フィロパトル(愛父者)またはフィラデルフォス(愛姉妹者)の名でアレクサンドリアの王に、もうひとりをキプロスのプトレマイオスとしてキプロスの統治者にしました。そしてプトレマイオス12世は、同じ母を持つクレオパトラ6世トリュファイナと結婚したのです。

この兄弟姉妹たちの母親が誰なのかは判っていません。それまでに、プトレマイオスとクレオパトラの一族の系譜ではない妾妻でも名前が残っているケースはありますが、この女性についてはまったくわからないことから、名前を残すことのない遊女であったという説もあります。ギリシャ系なのかエジプト系なのかもわかりません。

そしてこの、プトレマイオス12世とクレオパトラ6世トリュファイナとの間にできた娘が、エジプト最後の女王クレオパトラ7世になったのでした。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.