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獅子舞のルーツ:狛犬と獅子の関係性とは

獅子舞

神社につきもののものと言えば、鳥居に手水舎、賽銭箱に鈴、そして忘れてはいけないのが「狛犬」です。
狛犬は神社だけでなく寺院の入口、または本殿や本堂の正面の左右に、必ずひとつずつ一対で寺社を護るように入口方向に向かうか、あるいはそれぞれが向き合うかたちで据えられています。じつはこの狛犬、普通は左右の一対を合わせて狛犬と呼んでいますが、片方のみが狛犬で、もう片方は「獅子」だということをご存知でしょうか。

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「阿(あ)」と「吽(うん)」

正しくは向かって右側が獅子、左側が狛犬で、獅子は口を開いており「阿(あ)」を、狛犬は口を閉じて「吽(うん)」を表しています。阿と吽はつまり「阿吽の呼吸」の阿吽で、仏教では「阿が始まり」「吽が終わり」を意味し、一対となるものを表しています。

また狛犬の頭にはツノがあり、獅子にはツノがありません。どうして狛犬にだけ頭にツノがあるのかは正しくはわかりませんが、外に置かれている古い狛犬にはツノが取れてしまっていたり、はじめから無いものもありますので、口を開けているのが獅子で口を閉じているのが狛犬と憶えておけば良いでしょう。

 

 

獅子と狛犬は魔を破る守護霊獣

さて、それではこの獅子と狛犬が、どうして寺社の正面に置かれるようになったのでしょうか?

獅子も狛犬もどちらも寺社の本殿や本堂を護る守護獣、つまり霊獣ですが、そのルーツは別の記事でご紹介したように、古代のインド、オリエント、エジプトにあった力のシンボルとしての百獣の王ライオンに遡ります。

ライオン=獅子は魔を破る力の象徴であり、仏教においても人を迷わす魔を怖れさせて従わせ、人間の迷いを打ち砕いて目を覚まさせる仏の説法や知恵をシンボライズさせていました。中国でも獅子像は皇帝の守護獣となっていましたから、そういった古代文明の流れが日本に渡って来たと考えられ、仏教が伝来する飛鳥時代には守護霊獣としての獅子がやって来たとされています。

ですからはじめは、左右一対であっても両方とも獅子の姿であったようです。ちなみに中国の獅子像では、どちらも同じ姿で口の開け閉めの違いもありません。

 

 

日本全国に定着した獅子と狛犬

現在のように獅子と狛犬の一対になったのは、平安時代からとされています。平安時代には様々な文化面で日本化が進む「国風文化」が発展しますが、獅子と狛犬もその一貫だったのかも知れません。

日本の様式美は「アンシンメトリー(左右非対称)の美」と言われますが、獅子と狛犬も魔を防ぎ、はじめと終わりを表す一対の守護霊獣となりました。つまり狛犬の方も、おそらくは獅子から連想された想像上の霊獣だと考えられています。

どうして狛犬と言われるかについては「高麗(こま)」から伝わったからなど諸説あるようですが、本来は「拒魔」つまり魔を退ける犬であり、中国では「狛」という文字が辺境を表すことから、力のある未知の獣ということなのかも知れません。一説には「兕(じ)」という水牛に似た一角獣から来たといいうものもあり、その点では狛犬にツノがある理由になるのでしょうか。

獅子と狛犬は、寺社を護る存在として全国に広がりました。鎌倉時代以降にはその姿が簡略化されていき、現代では左右の姿の差がないものも生まれて来ているそうです。
いずれにしろ日本には本来棲息していない獅子が、寺社の狛犬の存在によって魔を破るものとして、一般にポピュラーになっていったのは間違いのないことではないでしょうか。

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