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獅子舞のルーツ:西方から日本へやって来た獅子

獅子舞

獅子舞の歴史をざっくり見てみると、16世紀の初めに伊勢の国で始まり、やがて17世紀には伊勢から江戸へあるいは全国へと広がって、江戸時代には正月を寿ぐ芸能として定着して行ったと考えられています。

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伊勢から全国に広がった背景

伊勢から全国に広がった背景には、伊勢神宮の神札を配りながら獅子舞を各地で舞い、伊勢の御師とともに江戸中期以降のお伊勢参りブームに一役買った「伊勢大神楽」があります。16世紀の初めというと戦国時代。豊臣秀吉の天下統一、1600年の関ヶ原の戦いを経て大阪夏の陣で戦乱の世が終息したのが1615年ですから、獅子舞は戦国時代に始まりまさに平和の時代となって全国に広がったものだということです。

また、伊勢大神楽とは別系統とされる「風流踊」の系統も室町時代に始まり、応仁の乱以降に隆盛して広まったと言われていますから、どちらの系統にしても途轍もなく古いというわけではありません。とは言えどうして獅子なのかなど、そのルーツには長い歴史が秘められているようです。

 

 

ライオンは魔を破る力の象徴

そもそも獅子舞の獅子とは何なのでしょうか?
獅子とはつまりライオンということですが、現代でも“百獣の王”と表現されるように、古代から特別視されていました。古代エジプトの人間の顔とライオンの身体を持つスフィンクスをはじめ、ライオンの頭を持つ女神セクメトなどの神々、古代シュメールを征服してバビロニアに栄えたアッカドの雌ライオンの頭を持つ魔の女神ラマシュトゥなど、超古代と言われる頃よりライオンは神格化されていたわけです。

スフィンクスがそうであるように、獅子は敵対する者を打ち破り神や王を守護するシンボルとして考えられていました。日本の獅子舞の遠いルーツはインドと言われていますが、ヒンドゥー教の神で世界が悪の脅威にさらされたとき、様々な化身(アヴァターラ)を使い分けて地上に現れるというヴィシュヌ神のその化身のひとつに、ナラシンハというライオンの頭を持った獣人がいます。苦行の末に不死身となった魔族(アスラ)のヒラニヤカシプを倒すためにヴィシュヌ神はナラシンハとなって現れ、ヒラニヤカシプの身体を素手で引き裂いたといいますから、インドでも獅子とは魔を破る力の象徴だったわけです。

ちなみにインドには、インドライオンというアフリカライオンよりやや小柄のライオンがいて、かつては中東アジアまで分布していたそうですから、バビロニアのライオンもこのインドライオンだったかも知れません。

 

 

仏教とともに日本に伝わって来た獅子

インド発祥の仏教では、文殊菩薩が獅子の背中の蓮華座に結跏趺坐して座っています。「三人寄れば文殊の知恵」と言うように文殊菩薩は知恵を司る仏ですから、獅子は知恵の力をシンボライズしています。

仏教用語には「獅子吼(ししく)」という表現があります。これは仏の説法は獅子の咆哮のように百獣を怖れさせ、また人間の迷いを打ち砕いて目を覚まさせ、人を迷わす悪魔や外道を怖れ従わせるという意味で、そこから雄弁を振るうことも獅子吼と言うようになりました。

ライオンの棲息しない日本に獅子が伝わって来たのは、おそらく仏教の伝来と同じ頃の飛鳥時代であると考えられています。この獅子がじつは日本人にとっても身近な存在になっていくのですが、それについてはまた別の記事で探ってみることにしましょう。

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