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沖縄のシーサーと狛犬との奇妙な類似性を考える

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お土産物などで沖縄の「シーサー」を見ると、2頭で対になっていることが多いのではないでしょうか。2頭のそれぞれは巻いたたてがみを纏った同じ獅子の姿をしていますが、片方は口を大きく開け、もう片方は口を閉じています。

対の2頭で、片方は口を大きく開け、もう片方は口を閉じていると言えば、日本全国にある寺社の狛犬を思い浮かべることができます。シーサーと狛犬は同じもの? さてどうなのでしょうか。

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獅子と狛犬の2頭で一対

「獅子舞」についての記事でも触れましたが、寺社の前に設置されている狛犬は2頭で対になっているものの、じつは左右同じものではありません。

正しくは向かって右側が獅子で左側が狛犬。右側の獅子は中国の獅子と同じ姿ですが、左側の狛犬には頭にツノがあります。現在見られる狛犬にはツノが取れてしまっていたり、製作が新しくツノがつけられていないものもあるそうですが、本来は獅子と狛犬の2頭で対とされています。また獅子の方は口を大きく開け、狛犬は口を閉じているのが普通です。

日本に獅子像が来たのは、仏教が伝来した飛鳥時代のこととされていますが、獅子と狛犬で対となったのは平安時代のことで、これは日本の文化が「国風文化」として独自化されていくことと関係があったのかも知れません。

 

狛犬とシーサーの阿吽

シーサーとなる獅子が大陸から琉球に伝わったのは13世紀から15世紀のことと考えられていますから、本土で言うと鎌倉時代後期から室町時代の頃です。つまり8世紀から12世紀の平安時代の狛犬よりもずいぶんと後のことで、シーサーと狛犬は別の経路で伝来したことがわかります。

しかしどちらも、片方は口を開きもう片方は口を閉じていることが同じなのは、シーサーが狛犬に影響されたのかも知れません。どちらも、口を開いているのが「阿(あ)」を、口を閉じて「吽(うん)」を表していると考えられています。阿と吽はつまり「阿吽の呼吸」の阿吽で、仏教では「阿が始まり」「吽が終わり」を意味し、一対となるものを表しているのです。左右で対となりながら全く同じではないのは、「アンシンメトリー(左右非対称)の美」と言われる日本の様式美で、狛犬にはそんなところも関係があるのかも知れません。また狛犬とは「拒魔」の犬で、魔を破る守護獣ということですから、獅子と対となることで、古代オリエントにつながる流れを汲んでいるわけです。

 

沖縄独自の獅子として定着して行ったシーサー

沖縄のシーサーが、片方は口を開きもう片方は口を閉じている「阿吽」の姿になったのは、かなり後代のことなのだそうです。もともとは、中国伝来の左右とも同じ巻き髪のたてがみを持った雌雄で対の獅子だったものが、やがて狛犬のように「阿吽」のシーサーになったということでしょうか。

沖縄で最も多くの獅子彫刻が製作されたのは、15世紀後半から16世紀初頭の尚真王の時代の頃だと考えられています。この時代には琉球文化が隆盛し、獅子も沖縄独自の様式が生みだされて行きました。

この時代の琉球は、東シナ海を舞台とした中継貿易の中心地のひとつとして、日本や中国、東南アジア諸国などの様々な人や物が往来しました。そのようななかで、獅子は沖縄のシーサーへと定着して行ったのかも知れません。

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