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絹の道を越えて!沖縄のシーサーに重なる幻獣の獅子

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沖縄から見ると遥か遠くのユーラシア大陸の西域、中東オリエントやエジプト、そしてインドの百獣の王ライオンは力の象徴、神や王そして都市を護る守護獣のシンボルとなり、やがて中国に伝わって「獅子」となりました。

西域のライオン、そして中国の獅子が沖縄の魔除けの像「シーサー」の源流となるわけですが、それでは中国の獅子とはどんな存在だったのかを今回は探ってみることにしましょう。

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シルクロードを伝わって西域からやってきた獅子

中国へのライオン像の伝来は、紀元前2世紀頃だといわれています。

古代オリエントと中国を結ぶ道はシルクロードと呼ばれていますが、これはヒマラヤ山脈の北方、ユーラシア大陸の砂漠地帯などを横切って東西を結ぶ「オアシスの道」が良く知られており、紀元前2世紀頃の前漢の時代には確立していたそうです。シルクロードはこのオアシスの道だけでなく、現在のロシア南部の草原地帯を通る「草原の道」や、アラビア半島からインドを経て東シナ海を結ぶ「海の道」など、いくつもの東西路が存在しました。古代オリエントの守護獣ライオンは、こうしたシルクロードによって中国にやってきて獅子になったわけです。

中国の古い石獅子には翼のある姿をしたものがあるそうで、メソポタミアの翼のあるスフィンクス像などの影響も考えられます。しかし、じっさいにライオンが生息するまたはしていたアフリカ大陸やオリエント、インドとは違って、中国にはライオンはいませんでした。ですから守護獣としてのライオンは、中国では龍や麒麟、鳳凰などの幻の瑞獣(瑞兆をもたらす聖なる獣)と同じような存在になっていったようです。

 

幻獣の獅子となったライオン

ですから中国でライオンは「唐獅子」となりました。唐獅子の特徴は勇壮な顔と頭部や尾などの豊かな巻き毛で、その姿は日本で桃山時代から江戸初期に描かれた狩野永徳・常信の「唐獅子図屏風」などでも見ることができます。ちなみにこの屏風絵には雌雄2頭の唐獅子が描かれていますが、じっさいのライオンとは違いメスもオスと同じ巻き毛のたてがみを持っています。

中国で幻獣となった獅子の像は、貴族の陵墓や廟、寺院の守護神として設置されるようになります。これらの建造物の前に獅子像を置く形式は、古代オリエントから伝わったものと考えられています。都市や王宮などの守護獣としてのライオン像が中国にも伝わり、「魔」を破り護る「魔除け」としての意味合いも強くなりました。

 

仏教と獅子の関係性とは

これは「獅子舞」について書いた記事でも触れたのですが、獅子はインド発祥の仏教にも影響を受けています。
例えば文殊菩薩は、獅子の背中の蓮華座に結跏趺坐して座っています。「三人寄れば文殊の知恵」と言うように文殊菩薩は知恵を司る仏ですから、獅子は知恵の力をシンボライズしています。

また仏教用語には、「獅子吼(ししく)」という表現があります。これは仏の説法は獅子の咆哮のように百獣を怖れさせ、また人間の迷いを打ち砕いて目を覚まさせ、人を迷わす悪魔や外道を怖れ従わせるという意味で、そこから雄弁を振るうことも獅子吼と言うようになりました。獅子が大きな口をもって咆哮するように開けているのは、この獅子吼も表しているのかも知れません。

このように獅子は、古代オリエントからシルクロードを経由して様々な影響を受けながら中国に至り、破魔や魔除けの守護獣として沖縄や日本にやってきました。

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