魔除けの守護獣シーサーと西域に君臨するライオンとの深い関係
沖縄の「シーサー」がどこから来たのかを辿ると、古代中国の「獅子」そしてその先にはインドや中東オリエント、エジプトなど西域のライオンがいて、ユーラシア大陸を西から東へと流れる大きな文化の伝播が背景になっています。
今回は、そんな西域のライオンと沖縄のシーサーとのつながりについて探ってみることにしましょう。
シーサーのルーツ、獅子=ライオンは古代の西域が源流
これは獅子舞の記事でもご紹介したのですが、獅子は中国には生息していない西域のライオンがルーツになっています。
獅子つまりライオンが現代でも”百獣の王”と表現されるように、古代から特別視されていました。ライオンは、アフリカ大陸はもちろん、インドにもアフリカライオンよりやや小ぶりのインドライオンが生息していますが、かつては中東アジアでも生息してそうです。中東のライオンは絶滅してしまいましたが、インドでは500頭余りが現在も保護されています。
このようにアフリカからインドにかけて生息したライオンは、古代では現在よりもより身近で怖れられた存在だったのかも知れません。古代エジプトでは人間の顔とライオンの身体を持つスフィンクスをはじめ、ライオンの頭を持つ女神セクメトなどの神々がいました。また、古代シュメールを征服してバビロニアに栄えたアッカドでは、雌ライオンの頭を持つ魔の女神ラマシュトゥが知られており、遥か古代からライオンは神格化されていたわけです。
力のシンボルであったライオン
エジプトのスフィンクスがそうであるように、ライオンは敵対する者を打ち破り神や王を守護するシンボルとして考えられていました。
メソポタミアのバビロニア神話ではエジプトのスフィンクスとは異なり、ライオンの身体と人間の顔に鷲の翼を持つ怪物として描かれています。ギリシャ神話のスフィンクス=スピンクスは、ライオンの身体に女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼があり、高い知性を持ち戦いにおいて死を見守る存在でした。
また一方で、古代に全オリエントからエジプトまでを支配した新アッシリア帝国のアッシュール・バニパル王はライオン狩りで有名で、その狩りの様子を描いたレリーフが大英博物館にあります。古代では、人間の王が獣の力の象徴である百獣の王を倒すことによって、その力を誇示したということでしょう。
神殿や都市の守護獣となったライオン
ライオンは守護獣となり、古代ではその姿を描いて神殿や都市を護る像としました。
紀元前1世紀頃から3世紀頃まで栄えた古代都市パルミラ(シリア)の遺跡では、メソポタミアの女神アラートを祀るアラート神殿で女神が従えるという巨大なライオン像が1977年に発掘され、パルミラ観光のシンボルになりました。このライオン像は、パルミラを選挙したISによって2015年に破壊されてしまいましたが、現在は復元されています。
アジアの守護ライオン像ですと、シンガポールの「マーライオン」が有名です。実際に造られたのは1972年と現代のものですが、その由来はシンガポールの伝説にあり、11世紀にマレーシアの王族が対岸に見える土地を目指して航海に乗り出したところ、途中で激しく海が荒れたので王冠を海に投げ入れると海が鎮まり、無事に辿り着いたそうです。そのときライオンが現れてその土地を治めることを王族に許したことから、この地を「シンガ(ライオン)プーラ(都市)」と名付け、マーライオンはシンガポールの守り神となりました。