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世界遺産マチュ・ピチュを発見したハイラム・ビンガムの一生

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ペルーはアンデス山脈に位置する、世界遺産のひとつであるマチュ・ピチュは15世紀頃に作られたといわれていて、20世紀に入ってからハワイ出身の考古学者にして政治家、軍人など非常に多数の肩書を持っているハイラム・ビンガムという人物によって発見されました。

発見当時ビンガムは、「マチュ・ピチュこそがインカ帝国の首都であるビルカバンバに違いない」と考えたのですが、後年の調査で、ビルカバンバは別のところにあるとの見方が強くなっています。

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文字を持たないインカ帝国

後年に唱えられた「マチュ・ピチュではない場所がビルカバンバ」という説は、15世紀当時にインカ帝国を滅ぼしたという、スペインの兵士によって残されていた文書による情報です。

文字を持たない文明であったアンデス文明、その中の最も大きな帝国であったというインカ帝国に関する情報は、インカ帝国に関わり、かつ文字を持っていたスペイン側のニュースソースに依存するしかありません。それでも文字に残っているという意味では、スペインに残っているソースはある程度信ぴょう性が高いとの見方ができます。

しかし、「マチュ・ピチュはビルカバンバではない」という説が出てきた後も、ハイラム・ビンガムの功績自体は、失墜することはありませんでした。

 

軍人を経て政治家へ

考古学者としてマチュ・ピチュを発見したハイラム・ビンガムは、その後に勃発した第一次世界大戦をきっかけに、軍人になる道を選択します。

1888年創刊で、今もなお180か国以上の国で購読されているという自然科学や歴史の専門誌、ナショナル・ジオグラフィックに、マチュ・ピチュが1号まるまる掲載されたのが1913年4月号であり、この掲載によってハイラム・ビンガムとマチュ・ピチュの名が世界中に広まるきっかけとなったのですが、それからわずか4年後にビンガムは、軍人としてコネチカット州の州兵の大佐にまで昇進しています。

その後もアメリカ陸軍の運営や、フランスの航空学校の指揮官などを務めていますので、ビンガムは、軍人としても一定の成功をおさめているといえそうです。
その後1922年には政治家に転向し、ゆかりのあるコネチカット州の副知事から知事、さらには上院議員をも務めています。

晩年は考古学者というよりも、政治家や軍人としての功名が高くなったビンガムですが、最終的には1956年6月、ワシントンDCの自宅で亡くなった、とのことです。

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カテゴリ: その他

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