インカ帝国最後の都市として発見された空中都市マチュ・ピチュ
「世紀の絶景」といわれている、ペルーのマチュ・ピチュは、標高2,430メートルという高地に存在しています。
マチュ・ピチュは、面積がおよそ13キロ平方メートル、建物の数がおよそ200戸程度で、アンデス山脈に連なる高地に存在しているのですが、近隣の山裾からは、同時代の同じような遺跡は発見されていないことから、「空中都市」という異名も持っています。
この遺跡を1911年に発見したとされる、ハワイ出身の考古学者であるハイラム・ビンガムは、1908年に、ペルーの古代都市であるオリャンタイタンボに立ち寄っています。
下からは見えない遺跡を発見!
ビンガムは、1908年にサンディエゴで開催された「全米科学者会議」に代表の立場で出席後、古いスペインの貿易ルートに沿って探検をおこないました。その帰路に立ち寄ったペルーで見学した、古代インカ帝国の都市であるオリャンタイタンボに、強い関心を寄せます。
その3年後となる1911年には、当時講師をしていたアメリカのイェール大学関係者で結成した「イェール大学ペルー探検隊」としてペルーを訪れ、同年の7月に、マチュ・ピチュを発見しています。
ビンガムが高地かつ切り立った崖に建設されたマチュ・ピチュを発見できたのは、現地にて伝えられていた「インカ帝国最後の都市であるビルカバンバは、下からは絶対に見えない場所に建設されている」との説を手がかりにして、綿密な調査をおこなったからだといわれています。
ビルカバンバではなかったマチュ・ピチュ
ビルカバンバという言葉はマチュ・ピチュと同じくケチュア語を語源としていますが、元の意味は「インカの魂が宿る平原」であるとされています。
マチュ・ピチュを発見したハイラム・ビンガムは「マチュ・ピチュこそがビルカバンバである」と信じて疑わなかったようです。なぜならはビンガムは、ビルカバンバに関するを言い伝えを手掛かりに探し当てたから、さらには現実に言い伝えの内容に酷似した場所で発見したからです。
しかし実際には、後年になって異説が唱えられるようになりました。ペルーの考古学者であるエドモンド・ギエンや、ポーランドの歴史学者エルジュビェタ・ジロースカ、同じくポーランドのトニー・ホラクらが、インカ最後の年を征服したスペインの兵士によって記されたという記録を発見したのです。
現在はその記録からビルガバンバの位置を推測したものが定説になっており、マチュ・ピチュはビルカバンバではなく、後年発見されたエスピリトゥ・パンパという遺跡がその場所に該当するのではないかという結論に達しています。