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水の精霊ウンディーネと日本の水の精霊

ウンディーネ

「四大精霊」の存在を唱えた16世紀の錬金術師で医師、化学者で神秘思想家のパラケルススが水の精霊としたのは「ウンディーネ」で、この源流は古代ギリシャの「ニンフ(ニュンペー)」またそのなかの水の精霊族の「ナーイアス」だったことは、別の記事でご紹介しました。
それでは古代ヨーロッパと同じく、多くの精霊たちが身近な存在であった古代日本では、水の精霊とはどんなものだったのでしょうか。

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小説「ウンディーネ」のもととなったお話

古代の日本で語尾の「チ」がつく名前を持ったものは、じつは精霊を表すとされ、「チ」とは自然の万物に宿る霊力のことで、すなわち精霊であり古来からの「国津神」でもあったというお話も、火の精霊「サラマンダー」に関する記事でご紹介しています。

それでは水の精霊としての「チ」がつくものは何かというと、「ミズチ(ミツチ)」がそれに該当します。まさに「水」+「チ」で、水の精霊というわけです。
ではミズチとは何でしょうか。漢字では「蛟」と書き、これは中国でいう「蛟龍」つまり水の中に棲む龍(龍蛇)のことなのです。ミズチの「チ」はオロチ(大蛇)の「チ」と同じというわけですね。

日本書紀の記述では、吉備の国の川嶋河(現在の岡山県の高梁川)の分岐点の淵にミズチが棲んでいて、道行くひとに毒気を吐いて殺したりしていたのを、県守という人物が退治したという話があります。どうもヨーロッパの水の精霊とは大違いで、危険で獰猛な精霊のようですが、記紀の記述や物語は土着の神や精霊に対して厳しいので、本当はどんな水の精霊であったのかは今はわかりません。

 

 

精霊は人間に災厄をもたらすことはない

水の龍ということで思い浮かぶのは浦島太郎の伝説です。浦島太郎が助けた亀に乗って訪れたのが海中の龍宮で、つまりは龍王の宮殿。そこには龍王の娘である乙姫がいて浦島太郎と恋に落ちますが、龍王の娘・乙姫を水の精霊と置き換えれば、まさに人間の男性と水の精霊との悲恋の物語になるのかも知れません。

龍宮で乙姫との幸せな日々を過ごしていた浦島太郎は、やがて人間の世界への望郷の念に駆られ、引き止める乙姫を結果的には捨ててもとの地上へと戻ることになります。

300年もの年月が経過していることを知り呆然とした浦島太郎は、再び乙姫のいる世界に行くためにも決して開けてはいけない玉手箱を開けてしまい、みるみるうちに老人になってしまうのです。つまりは水の精霊の約束を破り、二度に渡って乙姫を裏切ってしまったわけです。

これはフーケの小説「ウンディーネ」の悲劇の恋愛物語に通じるものがあると思うのは、考え過ぎかもですが、少なくとも人間ではない存在の美しい女性と人間の男性との物語には、なかなかハッピーエンドはないということです。

このような人間と精霊など異なった存在との恋愛、そこから生じる現実を超えた哀しい物語への共感は、洋の東西を問わず人間の心のなかに共通したものがあるのかも知れません。

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