> >

ケンタウロスとは何者か…ギリシャ神話に見るその存在の意味

aed8c1fa0fe6a8507f864fd6d13410e2_s
 
古代ギリシャで半人半馬の「ケンタウロス」がどうして語られたのか、その源流はどこにあったのでしょうか。
神話の時代に生まれたケンタウロスの物語や伝説には、そのもととなる事実や考え方があったのかどうかについては、いくつかの説があるようです。

スポンサードリンク


 

ケンタウロスと騎馬民族

最も現実的な見方の説としては、騎馬で戦う民族にあまり馴染みのなかった古代の人たちが、まるで人と馬が一体となって生きて動いているように見え、そこからケンタウロスという半人半馬のイメージが生みだされたというものです。

じっさい時代は下りますが、15世紀から17世紀にスペインが南米を征服したときに、インディオたちには馬に騎乗する文化がなく、騎馬のスペイン人を見て半人半馬だと思ったのだそうです。騎乗しているときには半人半馬で、馬から下りるとまるで人間の身体が馬から分離したように見えたのだとか。

こういうことは古代にもあったのかも知れません。ケンタウロス族とは、古代文明の「ヒッタイト」に由来するという説もあります。

ヒッタイトは、古代のギリシャ人がギリシャ神話を共有していた紀元前8世紀頃の都市国家(ポリス)と古代ギリシャ文明の時代よりも古く、ギリシャの対岸の現在のトルコがあるアナトリア半島に紀元前17世紀頃には古王国を築きました。他の周辺地域の文明がまだ青銅器しか作れなかった時代にいち早く最初の鉄器文明を始め、馬に騎乗して戦うことにより鉄と騎馬の民族として周辺を蹂躙し、メソポタミアを滅ぼしました。

 

ケンタウロスの出自ラピテース族も騎馬民族だった

もしかしたら、このヒッタイトの騎馬戦士を見た古代ギリシャ人が、ケンタウロスをイメージしたのかも知れないというのが、ひとつの有力な説のようです。

また、ギリシャ神話でケンタウロスの出自の物語のもととなり、後にはケンタウロス族と対立して争うことになる神話民族の「ラピテース族」も、馬術に優れた一族であり、手綱や馬場、乗馬において全速力で走るギャロップ(襲歩)を考案したという説もあります。

それが事実かどうかはともかくとして、歩兵が中心の都市国家のギリシャの兵士とは違い、騎馬を用いた戦闘を行う一族だったのかも知れません。

一方でケンタウロス族が野蛮の象徴とされるように、騎馬戦闘を行う民族は都市国家の古代ギリシャ人にとって半人半獣の野蛮で獰猛、好色な異民族と考えたのでしょうか。

 

半人半獣という存在の意味

後世、特に18世紀以降のヨーロッパでは、人間性というものを最も文明化した状態から最も獣のような状態まで、いくつかの段階に分けて分類する傾向があったそうです。ギリシャ文化はキリスト教文化と合わせてヨーロッパ文化の源流ですが、こういった獣から文明化した人間までの段階的な分類は古代ギリシャからあったのかも知れません。

そういった意味で、ケンタウロスのような半人半獣の存在は中間的な、人間と獣の境界にいる存在というわけです。境界にいる者、あるいは境界を超えて存在する者は、その境界の番人となることが多いといいます。ケンタウロスは野蛮ではあるが優秀な戦士として、人間の文明が栄える地域と獣や怪物が跋扈する地域との境界にいて、その番人を務めていたのでしょうか。

 

少年から大人へと導いたケンタウロスの賢者

また境界にいる中間的な存在は、本来は違う2つの場所にまたがって生きている者だという考え方があります。

ケンタウロス族の賢者である「ケイローン」が、アキレウスやヘラクレスといった英雄を育て鍛える役目を果たしたのは、少年という存在から大人という存在へと変化する、その2つの異なった状態をつないでうまく育成することができるのが、2つの場所にまたがって生きているケンタウロス族の賢者という境界にいる者であったから、という説があります。

日本でも昔は、少年つまり童子は人間とは異なる別の存在であるという考え方があり、人間の大人になるためには元服の通過儀礼が必要でした。半分が人間で半分が獣のケンタウロスのケイローンは、まさに少年の指導者で守役であり、大人になる通過儀礼を執り行う存在だったと言えるのかも知れません。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.