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2つの仮説~ロアノーク島の集団失踪の真相を考察する!


 
1587年から1590年にかけておこなわれた、時のイングランド女王エリザベス1世による「新世界=アメリカ新大陸の、イングランドによる植民地化」は、男性90人、女性17人、子供11人の入植者全員が姿を消してしまうという「集団失踪事件」で不可解に幕を閉じることになります。

この事件の真相について、さまざまな仮説が立てられ、専門家による検証が行われましたが、どの仮説も事実を立証するには至っていません。

ここでは、事件発生後400年余りで、さまざまな方面から検討された仮説について、いくつかご紹介していきます。

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仮説1:先住民に同化した

たくさん存在する仮設の中でもっとも数多く語られ、仮説の中では「主流派」ともいわれているのが、「ロアノーク島の先住民と同化してしまった」という仮説です。

1590年に、ロアノーク島植民地を主導したウォルター・ローリーに任命されたホワイト知事主導の物資補給部隊がロアノーク島に戻ったとき、入植者の姿はひとりも確認することはできませんでした。しかし砦に刻まれた「クロアトアン(CROATOAN)」という文字と、砦の近くの木に刻まれた「クロ(CRO)」という文字を発見することはできたといいます。

これが何を指していたかといいますと、現在は当時の先住民として命名されている部族の名に非常に近いものなのです。

地元の先住民はクロアタン族(ハッテラス族という呼称もあります)と呼ばれていますので、おそらく砦に刻まれた言葉は「部族を指している」と考えて差し支えないように思われます。

この文字から推測できることは、「入植者が先住民であるクロアタン族に吸収されたのではないか」ということなのですが、まさにこの説が、ほとんどの専門家の(仮置きではありますが)結論となっているのです。

 

仮説2:近隣に住む別の部族に吸収された

また、ロアノーク島自体は非常に小さく、周辺にはクロアタン族以外にも先住民が数多く暮らしていたようです。

そういった部族は、アルゴンキン系インディアンと呼ばれています。ちなみに日本でも「インディアン」という呼称は定着していますが、「アメリカ大陸なのになぜインドなのか」、は興味深いところです。

「クロアタン」というキーワードは部族の名前であると同時に、「クロアトアン島」というロアノーク島の周囲の島の名前にも合致しています。このため、入植者たちが「ロアノーク島からクロアトアン島に移動した」ことを記録しているようにも解釈できます。

ホワイト知事一行は、ロアノーク島の近隣の島の探索を行おうとしましたが、激しい嵐に見舞われ、リアルタイムでの探索を断念しています。

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カテゴリ: その他

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