北欧神話の中の終末論、ラグナロク(神々の黄昏)
北欧神話を体現している代表的な文書として、新エッダ・古エッダ・小エッダと呼ばれるものが現存していますが、その中の共通的なエピソード、なおかつそれらを象徴しているような存在として、ラグナロクのエピソードが存在しています。
ラグナロクというキーワード自体は、古くからスカンジナビア半島に根を下ろしている民族(13世紀前後に、かの地に入植してきて住み着いた人々を含みます)の間で使われていたという、古ノルド語を語源に持つ言葉なのです。
その意味は「神々の黄昏」であったり「運命」であったり、場合によっては北欧神話の中で語られている「世界全体の終末の日」、いわばキリスト教でいうところの「ハルマゲドン」に相当する重要な意味と同義である、との説があります。
世界の目的は「終了する」ことなのか?
そもそも終末論という概念は北欧神話やキリスト教のみならず、仏教やヒンドゥー教、その他さまざまな土着の宗教的な概念に見られる、人類や文明全体に共通する、人間にとってユニークな概念です。
その中には「終末論は、歴史が存在する目的そのものである」という解釈も存在していて、我々日本人を含む人類全体の存在価値や存在理由に、重要な意味や問題提起をおこなっています。
このような位置付けの理論、概念であることから、終末論は、学術的に「目的論」の下位にある、つまり目的論から派生した、終末論に対して従属的な概念である、ともいわれています。
最後の審判という概念
キリスト教の世界では、「最後の審判」というキーワードが、現代世界においても非常に普遍的な概念として取り扱われています。
世の中には4つの「終わり」があり(「四終」と呼ばれていて、「死・審判・天国・地獄」が該当します)、これを前提にした救済こそが、キリスト教の存在理由である、としています。
キリスト教のなかで特別な存在であるイエス・キリストのイメージは、多くの人にとって「救済」であるのですが、大きな意味で何からの救済であるかというと、「四終」、ひいては「週末」からの救済であると考えられているのです。
ひるがえって、北欧神話や新エッダ・古エッダ・小エッダでいわれている「ラグナロク」も、まさに宗教的な概念によって救済されるべき「終末」として取り扱われている、といえます。
興味深いところが「週末のきっかけとなる出来事」なのですが、エッダの世界では「四季が訪れず、厳しい冬が三度続いた」ことがあげられています。
厳しい環境が長く続いた結果、そこに住む人々の信仰やモラルが崩れ去り(つまり「救済」的な何かはどこからも訪れなかった、ということになります)、「週末」を必然のものとして受け入れせざるを得なくなった、ということです。