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チャネリング:思い込み?直感?それとも内外からの声?

チャネリング

チャネリングという行為は、それをおこなう個人の内側に対する「内向きのアクション」なのか、それともよくいわれるように「神やアカシックレコードとの交信に向けた、外向きのアクション」なのかは、未だに判然としていないところです。
神やアカシックレコード自体、宗教的な概念であることに加えて、個人の信仰であったり、思い込みであったりする可能性は捨てきれません。
これは、チャネリングの存在や、交信先とされる「何らかの存在」の存在可能性にも通じる課題です。

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今考えている自分自身は「一瞬の存在」

チャネリングの対象は、よくいわれるような「長期間にわたる膨大な事象を記録している、一種の記憶域」であるかもしれませんが、一方で、宇宙の存在からしたら「一瞬の存在」でしかないような、各個々人の人生の中の、「その時々の思い込みや直感」である可能性も否定できないのではないでしょうか。

その思い込みや直感は、ほかでもなく「個々人の内側」からにじみ出ているものです。
実はこのあたりに、チャネリングやその対象の秘密が隠されているのかもしれません。
チャネリングの結果、聞こえてくる「何らかの声」は、実は、個々人が作り上げた「内なる世界」から聞こえてくる声なのかもしれない、ということを示しています。

 

「内なる世界」の正体とは

神経医学や精神医学の世界でも、「内なる声」という概念は存在しているようです。
つまり、チャネリングの対象としての「何らかの声」というものが、内側から発せられている可能性がある、ということです。
この「内なる声」は、どこからきているのかというと、それは、個人の記憶や信仰、思い込み、知人、肉親など、それまでの個人の人生に影響をおよぼしてきた、あらゆる事象がベースになっている、と考えられます。

その時々の気分や思考、人生経験の長短などで、聞こえてくる声は変化していくことでしょう。
ただし、そのなかでも道徳的宗教的な領域(スピリチュアルの世界では「ハイヤーセルフ」と表現されたりしています。
意味としては「高次の自分自身」、というところでしょうか)については、個人の価値観が色濃く反映されており、必ずしも個人の思考や判断とイコールではないもの、言い換えれば「自分の声ではない、なんらかの声」のように感じる可能性も十分ある、と思われます。

 

ある意味「外からの声」ともいえる

個人の宗教観や価値観というものは、さまざまな外的影響を受けたうえで形成されるものであり、そういった側面においては、チャネリングの対象はある意味「外からの声」、と言い切ることもできます。
これらの状況から、チャネリングの対象が内向きなのか、外向きなのかという問いに対しては、結論としては「双方向が密接につながっているものであり、一概に片方だけであるとは言えない」、というところになりそうです。

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カテゴリ: その他

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