宗教、スピリチュアルにおける第三の目と頭頂眼
生物学的な人間の進化とともに、生き物全体の進化の過程において本来は機能として備えていた第三の目は、徐々に(もしくは短期間で一気に)退化していったことが想定されますが、
一方で、宗教やスピリチュアルの領域では、ヒンドゥー教然り、仏教然りで、第三の目が頻繁に描かれており、何らかの力の象徴として、今も第三の目の機能や存在を信じていると思われる人が、大勢存在しています。
宗教的な「悟り」と「第三の目」の関係
ヒンドゥー教や仏教の、神や仏の肖像画では、まず例外なく眉間にしるしのようなものが描かれています。中にはヒンドゥー教のシヴァ神のように、明らかに「第三の目(通常の横長の目の形ではなく、縦方向の目ではあります)」が描かれているケースもあります。この事実からは、第三の目が、宗教における悟りや覚醒と、何らかの関連性を持っていることがうかがえます。
そもそも光を感じる器官として存在していた「頭頂眼」、つまり「第三の目」は、人間の進化とともに、ムカシトカゲなどの頭頂眼とは異なる機能を持つに至った、と考えられます。
頭頂眼と松果体
第三の目をつかさどる脳の器官は、ムカシトカゲの場合は「松果体」という脳の部位であることがわかっており、その部位は、人間にも存在しています。松果体は、厳密に言えば、ムカシトカゲが有する頭頂眼とは対になる器官、つまり、ひとつの目的(光を感じる感覚、といわれています)を達成するために備えられた器官なのです。
「光を感じること」と「悟りを開くこと」は、物理的な意味と精神的な意味の違いはあるにせよ、非常に近しいニュアンスを持っているように思えますが、この事と、人間の文明の移り変わりの中で発生してきた宗教における「第三の目」のイメージがほぼ一致していることは、あながち無関係ではないでしょう。
進化論の中での頭頂眼の位置付け
そもそも脊椎動物の祖先は、水中生物であったという説が一般的ですが、水中生物の時代には、現在の生物の「ふたつの目」に相当する外側眼と、「第三の目」に相当する頭頂眼の両方を備えていた、といわれています。
中枢神経系をベースとした外側眼は、のちに今の「ふたつの目」に進化していくのですが、光を感じる頭頂眼のほうは、その頃から松果体をベースにしていて、今も残る「ふたつの目」とは違った歩みを遂げていくことになりました。
いってみれば、脳の部位(単細胞生物的な時代には、脳も神経も一体であったと考えられます)から中枢神経系に進化して脳から分離した「ふたつの目」に対して、「第三の目」のほうは、脳に付随したままやがては退化してしまった、と考えられます。