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イアトロ化学 – 17世紀に生きたヤン・ファン・ヘルモント

イアトロ化学

16世紀の錬金術師、パラケルススが提唱した「人間の肉体の三大構成要素(硫黄・水銀・塩)」、そして肉体を動かしたり、生活したり、思考したりするための原動力、つまりはいわゆる「霊的な概念」をあらわすキーワードである「アルケウス」を研究する一派は、17世紀に入ってイアトロ化学派と呼ばれるようになります。
錬金術の歴史における、イアトロ化学派の代表的な人物として、フランドルはブリュッセルの医師にして錬金術師でもあった、ヤン・ファン・ヘルモントという人物の名前が残っています。

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実体験に基づいてパラケルススの実効性を体感した?

ヤン・ファン・ヘルモントは、17世紀当時スペイン領であった、南ネーデルラントに生まれています。キリスト教系の学校で、神学や神秘学を学びますが、現実主義志向であったためか、宗教家ではなく、医師の道を選んでいます。
しかし、当時の医学は現代ほど進んでおらず、医師の治療や投薬によって、病気の患者が悪化することも少なくありませんでした。

一方で、16世紀のパラケルススに代表される錬金術は、イアトロ化学として、当時の純粋な医学とは異なるユニークな進化を遂げており、医学を追究していたヤン・ファン・ヘルモントは、錬金術的な考え方に傾倒していきます。

当時の医学は、ガレノス医学という概念(2~3世紀のローマ帝国における医学者の名をとった古代の外科医学的な概念で、キリスト圏やイスラム圏において、1500年もの間主流の考え方であった、といいます)が支配的で、この概念を否定すること自体が困難であったようです。
ヤン・ファン・ヘルモントが医師になりたての時期には、「ガレノス医学のアプローチで、却って病状を悪化させる人々を目の当たりにし、失望してそれまで所有していた医学書をすべて捨て去り、放浪の旅に出てしまった」というエピソードが残っています。

現在の「内因性発痛物質」のルーツ?

当時のガレノス医学は、現代にも通用する外科医学的な方法論は持っていたものの、内因性の病状に関して、十分な答えを持っていなかったようです。
そのためガレノス医学では、パラケルススが考案した「アルケウス」という概念を説明することが困難であったことで、ヤン・ファン・ヘルモントは、その答えを錬金術に求めた、と思われます。

そして結果的にはこの概念は、現代医学でいうところの「内因性発痛物質」、つまりは「人間が感じる痛みのうち、外因性のものではないもの=組織の損傷によって、二次的に生み出された痛みの要素」を医学的に説明するきっかけを作ることになったのです。

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カテゴリ: その他

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