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イアトロ化学 – 物理や化学が医学に融合する第一歩

イアトロ化学

錬金術は、中世ヨーロッパのいわゆる「ルネッサンス時期」に、大きな広がりを見せました。それまでの冶金術的な要素に特化した概念から、物理学的、医学的な概念をも備えた、裾野の大きな概念に変貌していきます。
この時期に登場した錬金術師がパラケルススであり、イアトロ化学の考え方の源流となる概念を示した人物です。

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化学と物理学を医学へ融合したもの?

イアトロ医学のベースとなる概念は、16世紀に入ってから錬金術師のパラケルススが示した「人間の体の三大構成要素」に端を発しています。
パラケルススは、人体を構成しているのは硫黄・水銀・塩の三要素である、と考えました。

人間が死ぬということを、三大要素が変化することであらわそうとしていました。硫黄は燃やすと消えてなくなり、水銀は熱で蒸発、そして塩は灰として残るもの、と考えたのです。

もっとも、現代の日本では常識的に考えられている火葬は、当時のヨーロッパ、ひいては現代においても欧米ではそれほど多数派ではなく、「火葬すると人間の体はどうなるのか」ということは、それほど浸透はしていなかったのです。
この時期の錬金術や、パラケルススが唱えた仮説は、いわば学問としての化学や物理学が、医学に融合するための第一歩でもあった、と思われます。

イアトロ化学の誕生

しかし、錬金術の世界でパラケルススが三代要素を提唱するに至った一方で、当時の宗教的な概念として「人間は、霊的な要素と肉体で構成されている」という基本的な考え方があり、パラケルススの考え方は、すぐには医学的な要素として認められませんでした。

パラケルススは、三大要素と共に「人間が生活するための原動力」があるという仮説を立て、この原動力を便宜上「アルケウス」と名付けますが、このアルケウスこそが、それまで「霊的なもの」として捉えられていた「肉体以外の何か」を、医学的な検証によって説明しようとする動きを促進するものでした。

アルケウスの実態を証明しようとする動きは、17世紀に入ってから本格化していきます。その結果、化学と物理学を、学問として医学に取り込むための研究が進んでいきます。こういった動き、つまり、パラケルススが提唱した「アルケウス」の存在を証明する研究を推進していた専門家は、「イアトロ化学派」と呼ばれるようになりました。
イアトロ化学派の代表的な人物としては、フランドル(現在のベルギーにあたります)のヤン・ファン・ヘルモントをあげることができます。

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カテゴリ: その他

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