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この世に現れた麒麟と孔子の物語。麒麟は平穏への象徴だったのか

麒麟

「孔子」(紀元前552年から紀元前479年)といえば古代中国で最大の思想家であり、その後の東アジアに大きな影響力をもたらした儒教の始祖でもあります。この孔子と霊獣であり瑞獣でもある「麒麟(きりん)」との、因縁浅からぬ物語があるのです。
瑞獣とは、瑞兆=良いことが起きる前兆またはそのシンボルとして姿を現す存在であると言われ、鳳凰、亀、龍と並んで麒麟は「四大瑞獣」とされています。

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乱世を嘆き、瑞獣を求めた孔子

孔子が生きた「春秋時代」(紀元前770年から紀元前403年)は、中心となる「周」の王室の権威が低下し、それまで周王に礼儀を尽くしてきた各地の諸候が実力をつけて、領域国家を形成していく時代でした。中国大陸には実力主義が横行し、戦乱が絶えません。そのなかで孔子は「魯(ろ)」という国に生まれましたが、魯の状況も抗争が絶えず、礼節も失われて国や社会は乱れていました。

そういった状況のなかで孔子は伝統的な文化・教養を学び、礼儀作法や社会規範となる礼を修得します。孔子は礼の制度や文化が失われていることを嘆いていましたが、魯の王である昭公が権力闘争に敗れて追放されたのをきっかけに魯を離れ、その後に魯に戻ってからも仕官せずに弟子をとって教育を行い、やがて弟子とともに諸国を放浪して巡り、礼を重んじて徳で国を治める徳治の理想を説き続けます。

しかし孔子の理想に反して、世は乱れるばかりで徳治の理想を体現する聖王は現れません。孔子はやがて、聖王の治世に現れるという聖獣の鳳凰がこの乱世に出現することを願うようになりました。

麒麟、出現する

孔子がいくら願っても、そうやすやすと鳳凰が現れるものではありません。既に70歳を超えた老年になり落胆している孔子はある日、魯の国の西方の地で狩猟が行われた際に魯の公族の三桓氏(さんかんし)の一族である叔氏の臣下が、1本のツノを生やした見たこともない大きな獣を発見したということを聞きます。

しかしその叔氏の臣下は、この獣を気味悪がり、怖れて見捨ててしまったというのです。この獣とは瑞獣の麒麟だ、と孔子は思いました。
鳳凰と同じように本来は天下が平穏となり、礼節と徳を持って国を治める王がいるときに瑞兆をもたらし示すために現れるという麒麟が、この乱れた世に実際に出現したのだ。

しかしせっかく、瑞獣の麒麟が現れたにも関わらず、それを見つけた叔氏の臣下が逆に怖れて見捨ててしまったという事実に、孔子は更に深く落胆してしまいました。

春秋の獲麟

孔子はこの事件をきっかけに、それまで取組んでいた魯の歴史記録を書き綴るのをやめてしまいます。この魯の歴史記録とは、儒教の五経のうちのひとつである「春秋」であり、春秋時代という名称はここから採られています。

「春秋」の最後には、「春、西に狩りして麟(麒麟)を獲りたり」という「獲麟(かくりん)」という記事が記されており、そこから獲麟は物事の終わりや絶筆の意味を持つようになりました。そしてその2年後には、孔子は74歳で没したとされています。

春秋時代に孔子が晩年を過ごす魯の国に、はたして本当に麒麟が出現したのでしょうか?それが本物であれ、そのように見えた不思議な獣であったにせよ、孔子にとっては天下が平穏へ向かい徳をもって国が治まるための、瑞兆をもたらす麒麟でなくてはならなかったのかも知れません

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