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狩られた狼男…中世ヨーロッパで起こった狼男裁判

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ヨーロッパで狼男のイメージが定着したのは12世紀から13世紀の頃、中世の時代だそうです。それはヨーロッパにキリスト教社会が広がり、根を下ろしていった時代でもあります。

北欧神話に代表される古い神々が追いやられ、ヨーロッパはキリスト教を絶対的な宗教とした信仰社会になりました。

そのようななかで、15世紀頃から中世が終わり近代が始まる16世紀、17世紀にかけて、ヨーロッパでは魔女狩りの嵐が吹き荒れます。魔女や魔法はまさに遥か古代からの伝説の世界のもの。それがキリスト教社会を破壊する悪魔と結託した絶対悪へと変わり、魔女を狩って一方的に裁判にかけ処刑するという、集団ヒステリー現象が沸き起こりました。

そして魔女や魔法と同時に、狼男や獣人もその弾劾と処刑の対象となったのです。

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狼男が公的に認定される

15世紀初め、神聖ローマ帝国皇帝のシギスムント(在位1410年より1437年)が招集したキリスト教会の評議会が、狼男は実在するという布告を出しました。現代であれば、有力国家の政府が公式に狼男は存在すると発表したのと同じです。この布告によってヨーロッパ社会では、狼男を見つけたという報告がいちじるしく増えたのだそうです。

スウェーデンの宗教家で歴史家・地理学者のオウラス・マグヌスは、北ヨーロッパのバルト海沿岸である東バルト地方で定期的に魔女の集まりがあって、位の高い貴族も参加していると告発しました。オウラス・マグヌスによれば、彼らはクリスマスの夜に集まってエール(ビールの一種)の杯を前に呪文を唱え、狼の姿に変身するのだといいます。そして狼人間たちは人家に押し入って暴力行為や殺人を犯すが、暴れている最中にもエールの樽を開けるので本当の狼ではなく狼人間であることがわかるのだとか。

 

狼男と狼男裁判

神聖ローマ帝国内のハンガリーでは魔女狩りとともに狼男狩りも行われ、フランスでは狼男裁判が数多く行われました。なかには殺人を犯した者や人肉を食べたという者もいたそうですが、捕まって裁判にかけられた者のほとんどは魔女裁判と同じように、潔白なのにでっちあげや見せしめで処刑されてしまいました。

1588年にフランス中央部のクレルモン=フェランの近郊、リオンでは、ある貴族の女性が狼に変身して猟場の管理人を襲うという事件が起こります。この管理人は襲って来た狼の前足を切って撃退しますが、その前足を主人の貴族に見せるとそれは人間の手に変化し、その指には先祖伝来の指輪がはめられていて、なんとその手が自分の妻のものだったことがわかります。その貴族の妻は、結局は火炙りの刑に処せられたそうです。

はたしてこれが本当に狼人間への変身事件だったのか、それとも何かのでっちあげだったのかはわかりません。

 

狼男が生まれた理由

このような狼男、獣人の告発や裁判と処刑はやがて終息して行きますが、狼男の伝説と物語は残りました。それは中世から近代への移り変わりのなかで、森のなかのお話から現代のモンスター映画で描かれるような都会のなかのストーリーへと変わります。

一方で森の狼は、家畜を襲い狂犬病などの伝染病を蔓延させる害獣として駆逐され、その姿を消して行きました。それは人間の社会が広がり浸食することにより森は衰退し、草食動物の数が激減することによって、狼もやむを得ず人間の飼う家畜を食料としたことも原因となっています。

神話の時代から続く狼男の伝説は、自然の持つ野性と人間の文明との対立、古代の宗教や神々と中世以降のキリスト教の神話的対立から生まれたものでもあったのです。

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