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宇宙の北方を司る玄武:北辰・北斗信仰の始まり

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中国の古代の天文学では、地球から見た宇宙である天球を東西南北の4つの区画に分け、それぞれに方位を司る霊獣(神獣)の「四神」を対応させました。つまり四神は地上の方位だけではなく宇宙の方位をも司ったわけです。

中国天文学の考え方によると宇宙(天球)は28のエリアに分割され、これを「二十八宿」と呼びます。この28のエリアを7つごとにまとめて、東方、西方、南方、北方の4つの区画とし、東方を「青龍」、西方を「白虎」、南方を「朱雀(すざく)」、そして北方を「玄武(げんぶ)」としました。

地上から見える星は、地球の公転と自転によって季節と時間により、見えるものやその位置が違います。玄武の北方七宿で言うと、現在の秋の星座の領域にあたります。

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北の空に動くことなく輝く北辰の星

しかし北の空でひとつだけ、ひときわ輝いて動かない星がありますね。北極星です。中国ではこの北極星を「北辰」と呼び、宇宙の中心と考えて「天皇大帝(天帝)」と呼ばれました。日本の天皇という称号は、ここから来ているとも言われています。

北極星を中心に巡る星座として分かりやすいのが北斗七星ですが、やがて北辰の名称は北斗七星のことも言うようになります。

さて、北斗七星はよく水を汲む柄杓(ひしゃく)のかたちと表現されますが、北斗の「斗」とはまさに柄のついた柄杓のことです。北斗七星は北辰(北極星)を一晩で巡って1回転し、1年で柄杓の柄は12の方位を指します。このことから、水と永久の時間と季節を示す農耕の神のシンボルになりました。

こうして中国大陸では「北辰信仰」や「北斗信仰」が生まれますが、その源流は紀元前数千年前の古代アッシリアやバビロニアと言いますから、人類の信仰のなかでも大変古いものだったわけです。

 

北辰妙見信仰の成り立ち

奈良県明日香村の高松塚古墳やキトラ古墳の石室に、四神の壁画とともに天井に星宿図が描かれていたように、古代から日本にも中国の天文学や北辰・北斗にまつわる信仰が伝わっていたようです。

それがはっきりとした信仰になったものに、「北辰妙見信仰」というものがあります。

北辰信仰は古代中国の「道教」の信仰ですが、一方で「妙見」とは仏教における天部(天界に住む神)のひとつである「妙見菩薩」を対象とした信仰です。菩薩は本来、インド発祥のものですが、妙見菩薩は中国で星宿思想から北極星を菩薩として神格化し生みだされたものです。つまり道教の北辰と仏教から来た菩薩とが習合して、妙見菩薩を信仰する北辰妙見信仰が生まれたというわけです。

この北辰妙見信仰が、おそらくは奈良時代かそれ以前の飛鳥時代には日本に伝来して来たようですが、さてこの信仰と北方を司る四神の玄武にはどんな関係があるのでしょうか? それはまた別の記事で探って行きたいと思います。

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