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朱雀と神社の鳥居の秘密(1)神域と俗世を繋ぐ門

朱雀

平城京や平安京といった古代の都には、四神のうちの南の方位を司る「朱雀(すざく)」の名を冠した「朱雀門」がありました。この門は、天皇の住居や朝廷の政庁がある大内裏の南正門にあたり、日本においては天上の統治者・天照大神の子孫である天皇を護り、天上と地上の橋渡しを行う門だったと思われます。

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神域と俗世を繋ぐ門は日本中にある

天皇の居る大内裏はつまり神域ですが、このように神域と私たちの世俗の世界をつなぐ門が、日本のあらゆるところにあるのをご存知でしょうか?そう、それは神社の鳥居なのです。
日本全国にある神社の数はほぼ8万社ということだそうですから、それぞれの神社に鳥居があるとすれば、日本全国には8万もの神域の入口となる鳥居があることになります。それではこの鳥居とは、そもそもいったい何なのでしょう?それ以上に鳥居の起源はどこから来て、なぜ鳥の名が付いているのでしょうか?

様々な説のある鳥居の起源

一般的に鳥居とは、神社の神域と人間の俗界とを区分する結界の入口であり、一種の門であるとされています。
この鳥居がどこから来たものなのか?その起源説には中国の「華表」という宮殿や陵墓の参道の入口に建てられる標柱であるとか、朝鮮半島の廟や村の入口に建てられた赤い「紅箭門(こうせんもん)」、あるいはタイの「ソム・プラト」という高門やインドの「トラーナ」という塔門、ビルマのアカ族の「パトォー・ピー(精霊の門)」など、アジア各地を起源とする様々な説があります。

日本古来のものという説では、縄文時代から神の依代(神霊が取り憑くもの)として2本の高い柱を建てたという説もあります。例えば諏訪大社の御柱は、まさに古代の依代がそのまま現代まで受け継がれているのかも知れません。また天岩戸神話で、岩戸のなかに籠った天照大神を誘い出すために鳴かせた「常世長鳴鶏(とこよながなきどり)」つまりニワトリを止まらせた止まり木に由来する、という説もあります。

現存する文献では、平安時代の初めの804年に伊勢神社の内宮である皇大神宮から神祇官に提出された「皇太神宮儀式帳」という文書にある「於不葦御門(うへふかずのみかど)」が、奈良時代からある神社の屋根のない門として鳥居の起源であると言われています。
さらには、イスラエルの移動神殿の入口の門、あるいはユダヤのモーセがエジプト脱出の際に、ヘブライ人たちが神の災いに遭わないように玄関口に建てた2本の柱と羊の血で赤く染めた鴨居がルーツであるという説まであり、鳥居の起源は諸説紛々。実ははっきりとはわかっていないのです。

 

鳥居と鳥には関係性があるのか?

それでは鳥居はなぜ、「鳥」が「居る」という漢字を充てているのでしょうか。
「通り入る」という言葉からの説や、門のことを「門居(かどすえ)」と呼ぶことから門=戸として「とすえ」となり「とりい」となったという説もあるようですが、単なる当て字や読み替えでは名前の起源としてどうもしっくりとしません。

神社の鳥居には「鳥」がどう関わっているのか?そこに鳥居の起源のひとつの本質があるようにも思えます。例えばビルマのアカ族が村の入口に建てる「パトォー・ピー(精霊の門)」は、悪霊が村に侵入しないように結界をつくる役目をはたすものだそうですが、この門の上には木彫りの鳥が置かれ太陽の絵も描かれているということです。日本神話の天岩戸での「常世長鳴鶏(とこよながなきどり)」はニワトリですし、岩戸に籠った天照大神はまさに太陽そのものです。

このように鳥と太陽、そして門という関係性、あるいは縄文時代からの神と世俗とをつなぐ依代としての高い柱、そういったことが神社の鳥居の起源へとつながっていくのではないでしょうか。

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