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都の心臓部を護る朱雀門と神の鳥・朱雀が表す意味

朱雀

古代の日本の都であった平城京や平安京には、「朱雀門(すざくもん)」という門がありました。この門は、天皇のいる宮城(大内裏)の南側の正面入口にあり、そこから南へ真っ直ぐ都の入口である「羅城門(らじょうもん)」まで「朱雀大路」という、都で最も道幅の広い大通りが伸びていました。京都で言うと、朱雀大路は現在の千本通にあたります。

ちなみに羅城門の「羅城」とは、都城の城壁という意味ですから、羅城門は都城における一番外側の正門ということです。これは中国の都城における考え方で、日本の平城京や平安京には都全体を強固に囲むような城壁はなかったのですが、いわばシンボルとしての正門として造られました。
これに対して朱雀門は天皇の住居や政庁のある大内裏の正門であり、都の心臓部の門ということになります。

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「天子南面す」の意味とは

「天子南面す」という言葉があります。これはつまり「天子(天皇)」は南を向いているということですが、どういう意味なのでしょうか。
もともとは中国から来た考え方なのですが、天上から地上の統治者と認められた者は北を背にして南を向き君臨するという思想なのです。天上でも北が最も優位な不動の存在で、天上にあって常に動くことなく輝いている北極星がその頂点にあるという「北極星信仰」がその基となりました。

北極星信仰は中国の道教から始まっており、日本には古墳時代の4世紀頃には伝わって来たと考えられています。中国ではこの道教と「陰陽五行思想」が結びつきましたが、日本ではさらに陰陽師が担うことになる陰陽道へと発展して行くのです。

平城京や平安京は、この北極星信仰や陰陽五行思想がベースとなって造営された都なのですが、中国の皇帝が天上から国を治める者と認められた地上の統治者であり、天を敬う者として南を向くのに対し、日本では天皇は天そのものとして南を向くという考え方になりました。天上を治める天照大神の子孫だからこその考え方ですが、天皇は天上と直結して祀られる立場で「南面」していたわけです。

中国では皇帝から見て右側(西側)を優位としますが、日本では天皇から見て左側(東側)が優位となります。これは東から太陽が昇るからで、右大臣よりも左大臣の方が上位にあるということになります。現在でも劇場の舞台などで向かって右側(舞台側から見ると左側)を上手とするのは、ここから来ているのかも知れません。

 

朱雀は天上と地上とを橋渡しする神鳥?

天皇が「天子南面」することによって、その天皇が向いている重要な南側を護るのが四神の神獣である「朱雀(すざく)」でした。ですから、天皇のいる大内裏の南側にある正門は朱雀門だったわけです。

それでは朱雀は、南の方位を司り天皇を護るということだけがその役割だったのでしょうか。実は朱雀には、天上と地上との橋渡しをする役割があったのだといいます。
朱雀は同じく神鳥の「鳳凰」と同じであるとされますが、朱雀も鳳凰も神鳥は風の神であったという考え方があります。

風という漢字の旧字(異体字)は「かぜかんむり」に百で「凮」と書きますが、その更に古い甲骨文字ではまさに鳳凰の「鳳」なのです。風は天の神が起こすものという考え方から、空を飛び天の神の使いであると考えられた鳥が風だったわけです。しかしその後、同じく天を翔る「龍」に替わって行き、龍や蛇を表す「虫」の字が入れられて風という字になりました。

ですから朱雀も鳳凰も神鳥の属性は風でもあり、風は天上から地上へと吹き橋渡しをするものと考えられたのです。なお、四神で風の属性を持つ神獣を「白虎」や「玄武」としたりするようですが、これは本来間違いなのです。
このようなことから朱雀が護る朱雀門は、天そのものである天皇との橋渡しを行う入口という意味があったのかも知れません。

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