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安倍晴明にもあった鬼を見るチカラ「見鬼」と霊感

霊感

日本の歴史上、最も強力な霊感の持ち主といったら誰になるでしょうか。古事記・日本書紀に描かれる神話の時代は除外しましょう。その時代は神と人間が渾然一体であり、人間が八百万の神様たちと深くつながっていたときでしたので。
神話の時代から歴史の時代になって以降、最も大きな霊感のチカラ、つまり強い霊能力を持っていた人といえば、2人の伝説的な人物を思い浮かべることができます。それは「役小角(えんのおづぬ)」と「安倍晴明」です。

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霊能力者の元祖、役小角

役小角は飛鳥時代から奈良時代にかけて存在したと伝えられる人で、役行者とも呼ばれ修験道や山伏の開祖と言われます。霊感や霊視、呪術に優れ、それどころか普段から鬼神を使役し、後年に朝廷に捕縛され伊豆大島に流刑されても夜になると海の上を歩いて渡り、富士山に登っていたという伝説もあります。

 
まさに日本の霊能力者の元祖であり、また史上最強の霊能力者であったのかも知れません。
この役小角から始まると言われる修験道は、役小角が唱えた神仏調和のように日本古来の山岳宗教と仏教が混ざり合ったもので、その行者や山伏は深山に分け入って籠り、大自然のエネルギーを受けながら修行して「験力」と呼ばれる超自然的な能力に開眼します。

 

史上最強の陰陽師、安倍晴明

一方で平安時代に活躍したと言われる安倍晴明にも、「式神」と呼ばれる鬼神を使役したという伝説が有名ですが、晴明には修行中の少年・青年時代から「見鬼の才」という能力が備わっていたと言われています。

 
見鬼の才とは、つまりその言葉の通り鬼を見ることができる能力という意味で、ここでいう鬼は赤鬼・青鬼といったいわゆる鬼だけでなく、妖怪や化け物、怨霊や霊、あるいは神仏など、ふつうの人間には見ることのできない様々な霊的なものを言います。

 
今昔物語には、師匠の賀茂忠行のお供で夜間に外出した際に、恐ろしい鬼たちがやって来るのをいちはやく見つけ、無事にやり過ごすことができたという若き日のエピソードが語られています。

 
まさに、白ギツネを母に持つと伝えられた安倍晴明ならではの天賦の能力であったのかも知れませんが、晴明に限った話ではなく修行を積んで優れた陰陽師になれば、見鬼の能力が得られるとされていました。

 

見鬼と霊感

修験者の験力や陰陽師のこの見鬼の才にしても、修行によれば得られるかも知れないということですが、それでは霊感と見鬼とはどう違うのでしょうか。
見鬼は、今で言う霊視のことだと考えられています。そして単に鬼や妖怪、霊などを目で見ることができるというばかりでなく、霊気の流れや霊的存在を感知し、自分の見たい霊や妖怪、時には神や仏の姿までも選択して見ることのできる能力である、という風に解釈されています。つまり、言ってみれば能動的でかつ高度な霊視能力ということで、安倍晴明はまだ修業生の時代からこの高度な能力を持っていたわけです。

 
一方で霊感とは、一般的に受動的な感覚とされています。つまり見たいものや感じたいものを選んで見たり感じたりすることはできず、あくまでそこにある霊的なもの感覚として感知するだけです。この霊感が、生まれもっての才能や修行によって高度に鍛錬された能力が、見鬼の才と言えるのかも知れません。修験者や山伏、また密教の僧や行者なども、験力や法力というかたちでこの見鬼の才を獲得した者たちがいたと言われています。
役小角から安倍晴明を経て、霊感をより高度な能力とした人々の系譜が現代まで続いて来たのでしょうか。

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