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アラビアの錬金術~中世ヨーロッパ以前の錬金術の歴史

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アレキサンドリアで生まれたといわれる錬金術は、5世紀頃、勃興期にあったキリスト教とともに、エジプトからアラビア半島へ伝えられました。

当時のキリスト教が、古代ギリシャ思想を否定し、その流れでアレキサンドリアで浸透しつつあったそれまでの錬金術についても否定的であったこともあり、アラビア半島に渡ってからの錬金術は、イメージ的にも実質的にも、ダイナミックな変貌を遂げることになります。

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金属加工技術とギリシャ思想

アレキサンドリアが栄えた時代、さまざまな鉱石を組み合わせて合金を作るという冶金技術は、戦争に使う盾や鉾、戦車といった武器ニーズや、王族の装飾品などの贅沢品ニーズ、また宗教儀式に使用する神器ニーズなどを中心に、既にかなり発達していたことがわかっています。

冶金技術は、一説によると、約6000年前の石器時代には既に存在していたといわれていて、紀元前300年頃には、かなり研究が進んでいたもの、と思われます。若干時代は違いますが、日本の場合においても、たとえば刀の鋳造において、冶金技術が工夫されています。

冶金技術にギリシャ思想が結びついたものが、アレキサンドリア時代の錬金術の取り組みの中心であったのですが、アラビア半島に渡ってからは、ギリシャ思想の否定とともに、「不老不死」や「人間の創造」、「哲学的思弁」といった方向に変容していきました。

 

世界の勢力図の変化とも連動

また、この時期の錬金術の変容は、当時の世界的な勢力図の変容とも連動しています。アラビア半島に錬金術が渡ってきた時期、アレキサンドリアを擁するマケドニア王国の系譜に相当するローマ帝国は、東西の分裂を経て、かつての勢いを失ってしまいます。これに代わって台頭してきたのが、ペルシア帝国やオスマン帝国であり、周辺で浸透しつつあったイスラム教でした。

前述したようにキリスト教的価値観では否定されてしまった錬金術は、舞台も宗教も変えて、それまでとは違う道を歩むことになったのです。錬金術のルーツはアレキサンドリアである、といわれているにもかかわらず、アラビア語の用語が多いことと、背景にある歴史的な世界の変動とは、無関係ではない、と考えられます。

この時期、それまで混とんとしていた錬金術の思想や手法が体系的に精査され、さらにアラビア語またはアラビアの価値観に読み替えられ、もともと冶金技術中心であった錬金術のイメージが変容し、こんにち見られるような「エキゾチックかつオカルティックなもの」として確立されていったのです。

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カテゴリ: その他

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