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古代ギリシャからアラビア半島へ…錬金術の歴史と変容


 
古代ギリシャはマケドニアのアレキサンドリアを発祥地とする錬金術は、当初は現在一般的にいわれている「卑金属を貴金属に変える」といった特色を持っていなかった、といわれています(とはいえ冶金術=金属加工の技術自体は存在してたといいますから、単純に冶金術イコール錬金術ではなかった、ということです)。

もともとエジプトのミイラの作成技術や、ミイラの保存技術などに向けられていた錬金術の色合いは、キリスト教の勃興と、5世紀頃のアラビア半島への伝播と時を同じくして、大きく変容していきます。

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現代の錬金術のイメージを形作る

アレキサンドリアの錬金術は、エジプトやメソポタミアで、もともと発展しつつあった科学や冶金の技術に、古代ギリシャの哲学的思想が結びついたものがベースとなっていた、と考えられています。実際、金属加工の職人が残したと思われる文献には、銅から銀を抽出する方法や、宝石加工の方法など、一見して錬金術そのものではなく、職人技術ともいえるものが、既に存在していたようです。

また、当時の錬金術師には女性が多かった、という説も残っており、料理や保存など、実用的な色合いも濃かったもの、と思われます。ここに、古代ギリシャが持っていた哲学的思想や、ギリシャ神話に代表される多神教的なものの考え方が加わり、古代錬金術思想の骨格が構築されていったもの、と思われます。

しかし、錬金術のベースとなった古代ギリシャ思想は、紀元後、つまりキリスト教誕生後の、現代にも連なる西欧の基本思想とはかなり異なります。

 

冶金技術を含めて再構築がおこなわれる

キリスト教以前と以後の思想的な違いは、古代ギリシャ思想を否定していたとされる創世記のキリスト教の当時の動きを見ても明らかです。このため、古代ギリシャ思想をベースに持つ錬金術のイメージや実質的な姿も、かなり影響を受けることになります。

この錬金術の変化の舞台となったのがアラビア半島で、このことが「アレキサンドリアの錬金術」とは別の分類で、「アラビアの錬金術」が語られることとなったきっかけとなりました。

とはいえ「不老不死」や「貴金属作成」に代表される錬金術思想は、もともと人間の普遍的な欲求を具現化したものでもあったため(そもそもこのあたりの事情が、創世記のキリスト教が古代ギリシャ思想を否定する根本理由になった、という見方もできます)、キリスト教がアラビア半島に伝わる以前にも、類似した思想や欲求が、当然アラビア半島にも存在していました。

このため錬金術思想は一部の人々に直接的に訴求することになり、後年の錬金術の大流行に繋がっていくのです。

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カテゴリ: その他

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