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不老不死と金属の変容~錬金術のルーツとアラビア半島の歴史

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錬金術のルーツとしては、古代ギリシャはマケドニア王であったアレキサンダー大王が建設したという、エジプトのアレキサンドリアであるという説が有力です。錬金術を示す英語であるアルケミーが、アラビア語のニュアンスを持っている(化学をあらわす「ケミー(chemy)」に、アラビア語の冠詞である「al」がついている)ことからも、アラビアが錬金術に何らかの影響を与えていることは、ほぼ間違いありません。

古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスが唱える四元素をもとに、錬金術の二大テーマのひとつである「不老不死」を追究したのがアレキサンドリアの錬金術とするならば、「金属を変容させる」という側面を発展させたのが、アラビアの錬金術であったのではないでしょうか。

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アラビア半島における国家誕生の歴史

古代ギリシャに属するマケドニアの都市、アレキサンドリアの建設は、紀元前300年頃といわれていますが、アラビア半島に国家が建設されたのはアレキサンドリアよりもさらに古く、紀元前800年頃である、といわれています(アラビア半島に史上初めて国家の名称が確認されたのが、紀元前800年頃のサバアという国だそうです)。

その後アラビアは、当時のエジプトやメソポタミア、インドなどの間でおこなわれていた海上貿易の中継国として、大きく栄えることとなっていきます。

前述のアレキサンドリアを治めていたアレキサンダー大王は、周辺諸国への遠征を頻繁におこなっており、紀元前320年頃には、アラビア遠征も計画にあげていたようなのですが、遠征を提唱したアレキサンダー大王本人の急死により、遠征がおこなわれることはありませんでした。もしこの時期に遠征がおこなわれていたら、錬金術の歴史は大きく変容していたかもしれません。

 

錬金術の発展に大きく貢献する

アレキサンドリアの錬金術が、アラビア半島に伝わることになったのは、実質的には5世紀頃ではないか、といわれています。

1世紀頃に、中東はパレスチナ地方で、現在のキリスト教のベースとなる運動がおこっていますが、アラビア半島にキリスト教が入ってくる時期である5世紀頃に、アレキサンドリアの錬金術も、一緒に伝えられることとなりました。

現在のパレスチナを発祥地とするキリスト教と西欧社会における錬金術は、皮肉なことに、キリスト教と錬金術がアラビアに伝わった後、衰退していきます。その原因は、キリスト教が、次第に錬金術を含めた古代ギリシャの思想を否定していったため、とされています。

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カテゴリ: その他

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