錬金術のルーツはエジプトのアレキサンドリアにあった?
現代では、悪魔祓いや心霊現象と同様に、「オカルティズム」や「超常現象」の分野で語られがちな錬金術という概念ですが、そのルーツは意外に古く、起源は古代エジプトにまでさかのぼる、といわれています。
錬金術は、いくつかの分派を生み出しながら、近代にまで至っています。ここではその分派のひとつである、アレキサンドリアの錬金術を紹介していきます。
エジプト第二の都市として健在
アレキサンドリア(アレクサンドリアと呼ばれることもあります)は、現代も存続している都市で、エジプトではカイロに次ぐ第二の規模の都市です。紀元前332年、今のギリシャに位置するマケドニアの王であるアレクサンドロス大王(アレキサンダー大王と表記されることもあります)によって建設されました。
当時の面影を今も残しているアレキサンドリアは、紀元前の昔、アレクサンドロス3世が、遠征途上に世界各地で自らの名前を冠して建設したいくつかの都市の、記念すべき第一号でした。昔からエジプトとしては欧米的な要素を多く持つ都市で、開放的かつ国際的な色彩を強く放っている都市でもあります。
アレキサンドリアと錬金術
アレキサンドリアと錬金術の結びつきが初めて確認されたのは、エジプトはテーベという場所でした。1828年、古代の墓地から、ギリシャ語で錬金術に関する内容が書かれたパピルス(古代の紙の一種)が見つかっています。
ここには、金銀に対して、別の物質を加えることで、元の量を増量するという内容が記載されていた、といいます(この文書は、現在保管されている場所にちなんで、「ライデンパピルス」または「ストックホルムパピルス」と呼ばれています)。
この古代の墓地は、4世紀頃の魔術師の墓だった、といいますが、なぜ時代背景が異なるパピルスが見つかったのか、そしてなぜ錬金術関連の内容が記載されていたのかは、明らかになっていません。
アレキサンドリアは、古代から現代にいたるまで、長きにわたって語り継がれている「世界の七不思議」のひとつに数えられている「ファロス島の大灯台」を擁していたことでも有名ですが、「世界の結び目」として、世界各地から識者や学者、さまざまな知的財産が集約される地であったことが、不思議な事象を多く残すことの一因になったのかもしれません。
錬金術の分野においても、後世に残るような名の通った錬金術師を何人か輩出しています。そのうちもっとも有名だと思われる錬金術師が、パノポリスのゾシモスです。