アイザック・ニュートンの研究と錬金術との関係は?
1661年、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学し、自然哲学の研究を深めたアイザック・ニュートンは、支援者にも恵まれ(ルーカス数学講座の初代教授であるアイザック・バロー)、才能を開花させていきます。
大学の研究機関で学んだメリット
トリニティ・カレッジとは、英語圏では学生寮や研究機関として使われているキーワードですが、イングランドのトリニティ・カレッジは、1546年に時のイングランド王であるヘンリー8世によって創設された、由緒あるカレッジで、現在まで30人以上、ノーベル賞やフィールズ賞といった権威ある賞の受賞者を輩出している名門校です。
アイザック・ニュートンがこのカレッジで学べたことは、後世まで残ることになるニュートンの功績に、大きく貢献していたことがうかがえます。
ペストの流行とニュートンの功績
また、ニュートンが万有引力の法則をはじめとした普遍的な功績を、この時期に残せた大きな要因として、トリニティ・カレッジという環境や、支援者の存在に加えて、当時のヨーロッパにおけるペストの流行をあげることができます。
14世紀ヨーロッパにおいて、実に人口の3分の1以上を死亡させるという猛威を振るったペストは、ニュートンがトリニティ・カレッジに在籍している時にも影響を及ぼしていて、1665年から1666年の時期に、ケンブリッジ大学は閉鎖を余儀なくされています。
この出来事はニュートンの研究には奏功し、じっくり時間をかけて研究するタイミングを得ます。このことも、ニュートンの物理学者としての功績や、錬金術思想の掘り下げに大きく貢献していたもの、と思われます。
伏せられた錬金術研究
その後ニュートンは、1669年には、ケンブリッジ大学のルーカス教授職に就いています(ルーカス教授職とは、ケンブリッジ大学の数学関連領域の教授職のひとつであり、非常に名誉ある地位とされています)。この時期からニュートンは、自然哲学、聖書研究、そして錬金術の実験・研究などに没頭し、多くの著書を残しています。
また、当時ニュートンが所有していた蔵書約1600冊の内訳は、数学や自然科学関連が16%程度であったことに対して、神学や哲学という錬金術につながる関連蔵書の割合が30%以上にのぼっていた、とのことです。
しかし、後世の識者が、万有引力の法則に象徴されるニュートンのイメージを作るために、錬金術関係の研究をおこなっていたことを伏せていた形跡があり、ニュートンが錬金術研究にも深くかかわっていたことは、あまり知られていません。