> >

名高き錬金術師パラケルスス、思想の源流と近代医学への功績

2ea6517fb254cd6b44539f2686d8a8c5_s
 
中世ヨーロッパの時代に活躍し、錬金術の世界のみならず、西洋医学や西洋オカルティズムの領域などで大きな名を残しているパラケルスス(パラケルススはペンネームのような位置付けであり、本名はテオフラスト・ボムバスト・フォン・ホーエンハイムといわれています)は、今では「近代医学の巨人」とまで伝えられている人物です。

かつての錬金術の取り組みが、近代医学の発展に大きく貢献したことはもはや周知の事実なのですが、その中でも、パラケルススのもたらした功績をいくつかとりあげていきます。

スポンサードリンク


 

知識ベースではなく実務ベースでの医学

当時の西洋医学では、それまでの時代まで古くから伝承されてきたものを教義として信じることが主流であり、新しいものを切り開いていくような土壌が乏しい状況でした。

そんな中で、1493年にスイスで生まれたパラケルススは、父が貴族で医学者、母が農奴(パラケルススが幼いころに死去している、とのことです)というユニークな出自であったことも影響し、当時の主流派とは明らかに異なる世界観で、オカルティズムや医学、錬金術などの先鋭的な分野の研究に没頭していきます。

特に医学においては、伝承されてきた文書をもとにした、知識ベース(=初めにマニュアルありき)でのアプローチが王道であった中、試行錯誤を含めた実務ベース(=実践ありき)でのアプローチを重ねました。このことは、彼が生涯放浪を繰り返したことと、無関係ではありません。

 

大学時代のパラケルスス

パラケルススのオカルティズム的な思想の出発は、大学進学前の時代にまでさかのぼる、というのが定説です。

15~16世紀頃に活躍したヨハンネス・トリテミウスは、中世ルネサンス期の神秘学者として伝承されている人物ですが、パラケルススが大学に入る前の時代、父と共に生活していた時代には、何らかの形で接触し、その影響を受けていた可能性が高い、といわれています。

ともあれパラケルススは1509年、オーストリアのウィーン大学に進んだ後、1513年にはイタリアのフェラ-ラ大学で医学を学んでいます(いずれも今も存続していて、ヨーロッパのみならず世界的にも伝統ある大学として知られています)。

父が医学者であったこともあり、もともと医学的な素養があったとおもわれるパラケルススは、ふたつの大学で学ぶ中で、博士号を取得するに至ります。しかし、パラケルススの博士号取得に関する記録が乏しいことから、学歴詐称などの世俗的な疑惑を呼ぶことになり、錬金術のイメージも含めてパラケルススのキャラクターに若干影響をおよぼすことになります。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.