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安倍晴明の強力なライバル、道摩法師とは?2:内裏での呪術勝負

安倍晴明播磨国(兵庫県)の民間の陰陽師集団をルーツに持ち、安倍晴明の最強のライバルとされた法師陰陽師「道摩法師=芦屋道満」は、どんな陰陽師だったのでしょうか?

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晴明に呪術勝負を挑んだ道満

安倍晴明と芦屋道満の伝説では、内裏での呪術勝負のお話が有名です。
播磨国から京の都へとやってきた道満は、呪術で負けた方が弟子になるという勝負を晴明に挑みます。帝は、15個の大柑子(みかん)を入れた長持(木箱)を2人に見えないように持って来させ、公卿や貴族が見守るなかで中に何が入っているかを当てろというお題を2人に出します。

 
道満はそこで即座に「大柑子が15個入っている」と答えますが、一方で晴明は「ネズミが15匹」と答えるのです。中身を知っている公卿たちは、朝廷の陰陽師である晴明に勝たせたいのですが、その答えを聞いて落胆してしまいます。しかし長持の蓋を開けてみると、中からネズミが15匹出て来て四方八方へと走り回ったのでした。
実は晴明が式を打って(呪術を使って)、大柑子をネズミに変えてしまったのでした。これにより道満は、約束通り晴明の弟子になったということです。

 

 

「宇治拾遺物語」の芦屋道満のお話

「宇治拾遺物語」には、関白・藤原道長に呪詛をかけようとした芦屋道満の話があります。
ある日、愛犬を供に外出していた藤原道長が帰宅し門から入ろうとすると、その犬が前をふさぐようにして吠えまわり、道長を入れないようにしました。何か理由があるに違いないと安倍晴明を呼びにやると、すぐにやって来た晴明は「これは道長様を呪詛する何かが埋めてあり、それをまたがないように犬が知らせたのです」言います。

埋まっているものを見つけ出すように言われた晴明は、しばらくしてある場所を指し示しました。そこで掘らせてみると、2つの土器を合わせて黄色い紙縒(こより)で結んだものがあり、中には何も入っておらず、ただ辰砂(しんしゃ/朱色の顔料)で「一」と底に書いてあります。

 
「この術は、私のほかに知っているものがありませんが、もしかしたら道摩法師がしたのかも知れません。問いただしてみましょう」と懐から白い紙を取り出し呪文を唱えると、その紙はたちまち白サギになって南に飛んで行きました。そして、この鳥が行くところを見て参れと従者を走らせると、白サギは六条坊門万里小路の辺りの古びた家に入り、そこにいた老法師を縛り上げ連れ帰って来ました。

 
この道摩法師に呪詛をした理由を問いただすと、「堀川左大臣の藤原顕光公に頼まれた」と白状しました。藤原顕光は前の関白・藤原兼光の息子で、父が亡くなったあと道長に実権を奪われ怨んでいたのです。道摩法師は依頼されて呪詛を行ったということで、遠国への流罪は免れましたが生国の播磨国に追放されました。

 

 

晴明と道満の最終対決の地?

この話には続きと思われる伝承があって、それは晴明と道満が最終対決をしたというものです。
播磨国の作用の地(兵庫県佐用郡佐用町)に追放された芦屋道満は、追放された後も呪術で攻撃をしかけます。それを察知した安倍晴明は作用の地にまで乗り込み、晴明は大猪伏の丘、道満は向かい側の植木谷の下村にそれぞれ陣取って相対しました。
晴明が式神を放って攻撃すると、道満は孔雀明王を祀り悪木で護摩を焚き、年老いた蝦蟇を使った呪術で対抗します。戦いはついに力尽きた道満が倒れて終わり、晴明が勝利したのだそうです。

 
作用町の大木谷地区には安倍晴明の塚と晴明堂というお堂が現在もあり、谷を挟んで反対側の小山には道満塚が建てられています。
常に晴明のライバルであり負け続けた芦屋道満ですが、地元では播磨陰陽師の代表として尊崇されているそうで、都での権力争いに巻き込まれてしまった悲劇の登場人物としての側面があったのかも知れません。

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