魔術師と錬金術師との根本的な違いとは?
魔術師と錬金術師は、「断定型」と「仮説検証型」という意味合いにおいて、「本質的に異なるもの同士である」です。とはいうものの、かつて魔術師が呪術的宗教的な要素を持っていたとおり、魔術師と錬金術師が今でも混同されがちであるという事実(つまり両者ともに「オカルティックな概念」ととらえる人が多い)にも、ある程度納得性がうかがえます。
しかし、錬金術には、その歴史が示す通り、科学の進歩に貢献してきたという側面も大きいのです。
仮説検証は科学の常識?
そもそも「科学的方法とはなにか」を考えると、それは「ある事象を調査し、結果としての出来事を整理して新たな事実(または地検)を認識し、事実の確からしさを立証するためのプロセス」を指しています。そういった意味において錬金術は、まさに「科学的な方法を採用していた」、といえます。
中世ヨーロッパにおける錬金術では、卑金属から貴金属を生み出す方法や、人間の不老不死の方法などが研究されていました。多くは「来るべき未来を切り開いていく、ひいては人類の知能や知見の拡大を目指した、至って現実的な研究」であった、とも捉えることができます。
魔術にもこのような側面が全くなかったわけではないのですが、両者の究極的な目的を考えると、やはり本質的には大きく異なるのではないでしょうか。
魔術の目的は人格の完成?
かつての魔術師や占い師は、未来に起こる出来事を断定的に宣言したり人間の根源的な善悪に言及したりと、目的としては主に「人間の内面の改善=人格の完成に向かっていた」ことに対してのものでした。
一方の錬金術師のほうは、「人間の肉体や、人間が生きていくための外的物理的な事象(代表的なゴール設定が「不老不死の方法を手に入れる」ことや、「卑金属を貴金属に変える」ことでした)の充実」を目的としていました。
「魔法使い」という万能的な存在は、両者の中間的な概念として考えることもできそうですが、錬金術がその後さまざまな科学的または化学的な発見や貢献(元素や物質の変化のしくみについての具体的な特定・立証)を考えると、(究極の目的が「人間の充実」であることは変わりないものの)両者の性質はかなり違ったものである、と考えられます。
この違いは、現代における「科学者・技術者と、哲学者・教育者・社会学者などとの見解の相違」、または「科学者・技術者と、エンターティナーとしてのマジシャンの根本的な違い」にも通じる違いである、といえそうです。