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賢者の石が生まれた理由:イスラムから中世ヨーロッパに伝わった錬金術

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古代ギリシャで産声を上げ、イスラム圏で数百年という期間熟成された錬金術は、中世の時期の「人間の叡智や、あくなき探求心」といった背景を持ちながら、中世ヨーロッパにおいてさらなる発展を遂げていきます。その過程で、今もその存在について熱心な信奉者がいるという「賢者の石」の概念が生み出されていきます。

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中世ヨーロッパの錬金術

イスラム世界で育まれた錬金術は、12世紀になって錬金術書として次々とラテン語訳がなされていきました。

1144年に数学者にして天文学者、そして錬金術師でもあったイギリスの「チェスターのロバート」という人物が、アラビア語で書かれた『モリエヌス』という著作を『錬金術の構成の書』としてラテン語に翻訳して世に出したのが、中世ヨーロッパの錬金術書としては最初のものである、といわれています。

錬金術は、12世紀のヨーロッパに至って、それまでよりもさらに科学的なアプローチをとられていくことになります。

 

自然哲学者「バースのアデラード」

12世紀の有名な錬金術師のひとり、イギリスの自然学者にして錬金術師の「バースのアデラード」は、錬金術のみならず、占星術や哲学、数学、天文学といった現代の科学技術にもつながるような要素を多く含んだアラビア語の著書を、ラテン語に翻訳して世に出した人物として有名です。

しかし、彼の生涯や功績については記録が少なく、ほとんどが彼自身の証言により構成されている、との説もあって、真偽については謎が多い、ともいわれています。

とはいえ彼や前述の「チェスターのロバート」によって、ヨーロッパに錬金術がラテン語の知識として広く世間にもたらされたことは事実のようです。

 

錬金術につきまとう「偽書」のイメージ

この時代の錬金術師の主張への評価が定まっていなかったり、功績が定かではなかったりする原因のひとつとして、(現代においても然りですが)中世ヨーロッパ当時において「錬金術の科学技術性に疑問がつくのではないか(金や銀を別の物質から作り出すことは不可能ではないか)」と考える人々も多く存在していたこと、また実験段階の素材を、事実としてやや誇張して大げさに発表するような錬金術師も多くいたことから、発表された書物の評価が「偽書(まがいもので事実ではない)」となってしまっているものも多くありました。

このような背景の中で、錬金術がより多くの賛成意見を集めるためには、科学的な根拠を明確にすることと共に、よりわかりやすい「錬金術をあらわす象徴的な存在の登場」が求められました。それが「賢者の石」であり、「エリクサー」であったのです。

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カテゴリ: その他

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