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葛の葉伝説と葛の葉の段~安倍晴明誕生の謎

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安倍晴明が生きて活躍した時代は平安時代の中頃のことです、「本朝世紀」という歴史書の天徳4年(960年)の記述で初めて記録に登場します。
そのとき安倍晴明は、まだ天文博士を目指す「天文徳業生」という立場でした。しかし年齢は、40歳近くになっていたという説があります。これは、後に作られた安倍家の系図などで伝えられる没年から、生まれた年を延喜21年(921年)と推定されているからですが、じつは本当はいつの生まれかははっきりとはしていません。いつどこで生まれてどのように育ったのか、「本朝世紀」の記録に現れるまで何をしていたのか、安倍晴明の誕生から少年・青年時代までは謎に包まれているのです。

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安倍晴明出生の秘密を語る葛の葉伝説とは

安倍晴明の誕生秘話として有名なのが「葛の葉伝説」です。「葛の葉(くずのは)」とは、和泉国(大阪府)の信太の森(現在の和泉市)に棲む伝説の白狐。この葛の葉が、なんと安倍晴明の母親であったというものです。

村上天皇の時代(946年より967年まで)の頃、摂津国(大阪府・兵庫県)の阿倍野の里に「安倍保名」という人が住んでいて、信太の森の神社によくお参りに行っていました。ある日、この信太の森で狩人に追われ怪我をした雌の白狐を助けます。狐狩りの邪魔をした安倍保名も狩人に追われて傷ついてしまいますが、傷を癒す彼のもとに、ある日「葛の葉」という名の若い女性が尋ねて来て世話をするようになります。この女性こそ保名が助けた白狐が人間の姿になったもので、彼はそうとは知らずに妻としたのでした。

そして2人には「童子丸」という男の子が生まれ、6年の間幸せに暮らしていました。

 

人間と狐との間に生まれた安倍晴明

ある秋の日、葛の葉が庭の美しい菊の花に見とれて思わず狐の姿に戻っていたのを、童子丸に見られてしまいます。

本当の姿を見られた葛の葉は、もう人間とは暮らせないと、「恋しくば尋ねて来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌を残して、信太の森へと帰って行ったのです。安倍保名は、あのとき助けた雌の白狐が恩返しのために来て、ともに暮らしたのだと初めて知り、童子丸と一緒に信太の森へ葛の葉を探しに行きました。

森の中を探し歩いた2人は、涙を流して童子丸を見つめる白狐に出会います。この狐が池に自分の姿を映すと、その姿は人間の葛の葉へと変わりました。葛の葉は童子丸に形見として白い珠(または水晶の珠)を渡すと、森の奥へと帰って行きました。その珠には人間にはない不思議な能力の源が宿っていたのです。

この童子丸が後に安倍晴明となったということで、つまり安倍晴明とは人間と狐の間に生まれ、人間にはない能力を授けられた子どもだったのでした。

 

歌舞伎の演目となった安倍晴明の誕生秘話

この葛の葉伝説と安倍晴明誕生譚は、江戸時代に竹田出雲の作で人形浄瑠璃となり、その後に歌舞伎の演目である「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」の「葛の葉の段」となって、広く知られるようになりました。

「芦屋道満」とは、安倍晴明の好敵手になる「法師陰陽師(ほうしおんみょうじ)」ですが、この歌舞伎では父の安倍保名がすでに「賀茂保憲」の弟子の陰陽師で、同じく弟子とされる芦屋道満と賀茂家に伝わる秘伝書をどちらに譲かで争っている設定になっています。

保名と恋仲であった賀茂保憲の榊の前という娘が、保名に渡そうと秘伝書を盗み、それが露見して自害してしまったことから保名は発狂して京を離れ、信太の森を彷徨っていたところで葛の葉と出会い、葛の葉へと続いて行くお話になっています。なおこの演目は全部で五段ありますが、現在では葛の葉の段のみが上演されています。

この「芦屋道満大内鑑」のお話のほかにも、葛の葉伝説と安倍晴明誕生譚には様々な設定やバリエーションがありますが、安倍晴明が狐の子であるという伝説が主軸になっているのには変わりがありません。

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