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古代日本の秘密機関!陰陽寮が誕生した背景とは?

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希代の陰陽師「安倍晴明(あべのせいめい)」が活躍する平安時代の中頃よりも300年ほども前の飛鳥時代(7世紀後半)に、「陰陽師(おんみょうじ)」が所属する「陰陽寮(おんみょうりょう)」が朝廷の役所として誕生します。

そこで行われている内容や用いられた知識、器具や道具、文献などは門外不出とされました。陰陽寮とは古代日本における、言ってみれば秘密機関だったのです。
それでは、それはいったい何故だったのでしょう? 陰陽寮では何が行われていたのでしょうか?

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人間の営みに重要となった時刻と暦

人間の営みにおいてとても大切ですが、人が自由に操ることのできないもの、それが時間です。1年は365日、1日24時間というのは現代人にとってごくあたりまえのことですが、この時間の概念がなかった古代の人々にとっては、時の流れを知るのは太陽と月などの天体の動きや季節の移り変わりでした。

特に人間が農業を行うようになると、時間や日にちの流れを知るのはとても重要になって行きました。そこで作られたのが「時刻」であり「暦(こよみ)」です。人類の歴史で初めて暦が作られたのは古代エジプトだと言われていますが、時刻と暦のもととなっているのは太陽の動き、月の満ち欠けや季節の移り変わりであり、これらが天文学へと進化して行きます。

古代の日本では「太陰太陽暦」という、月の満ち欠けをもとに太陽の動きで季節とのずれを修正する暦が用いられ、6世紀頃に中国から伝えられた「元嘉歴」がその始まりでした。

 

時空を支配する天皇と朝廷

古代において国を支配し統治する者は、その権力が及ぶ領土を保つことと同時に、人間の営みや農業などの生産を左右する時刻と暦の管理がとても重要でした。つまり、時間と空間を支配する者こそが、その国の最高権力者だったのです。ですから古代の日本では、時刻と暦は天皇と朝廷が独占して管理するものでした。

また、人間には自由にならない先の時間や出来事、つまり将来を予測し行動や方針を決定する「政(まつりごと=祭ごと)」を行うには、占いがとても重要でした。それには自然と宇宙の法則や動きを知り、そこから何かの変化や「兆し(きざし)」を察知してその意味を探ることが重要視されます。陰陽道の基礎となった中国の「陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)」は、まさに宇宙と万物を知る哲学であり、そこから古代の天文学が成立しました。

このように「暦」「時刻」「天文」そして「陰陽道」というものが、古代の天皇と朝廷にとってはとても重要であり、また門外不出として独占すべきものだったわけです。

 

陰陽寮は宇宙・時間・占いの専門機関

陰陽寮には、「天文博士」「陰陽博士」「暦博士」「漏刻博士」の4博士と陰陽師が専門職として配置されましたが、まさに宇宙と時間、占いを研究して司り、天皇と朝廷のまつりごと=時空管理を補佐する機関だったわけです。ちなみに漏刻博士の「漏刻(ろうこく)」とは水時計のことです。

天文博士は天文を観測して占星術による占いを行い、暦博士は暦を編纂し、漏刻博士は水時計を管理運用して時刻を司り、陰陽博士は占術や祭祀を行う陰陽師を育成指導しました。それらはすべて天皇と朝廷のためのもので、この専門機関としての役割は奈良時代から平安時代へと続いて行きました。

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