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シュメール人は何者?宗教観から考察する謎の民の出自


 
どこからともなくメソポタミアの地にやってきて、紀元前2000年までにさまざまな革新をもたらし、最後はどこかに消えてしまったというシュメール人は、当時の王朝支配全盛期に、ギルガメシュ叙事詩という壮大な物語を残しています。この作品について、聖書をはじめ、世界各国の民話や神話との比較や検証が現在もおこなわれていますが、シュメール人の出自特定に至る決定的な事象はいまだ発見されていません。

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旧約聖書の「アブラハム」はシュメール人?

ギルガメシュ叙事詩と他文化の書物との比較の中で、もっとも注目される事象のひとつが、旧約聖書の創世記に描かれているアブラハムのエピソードです。アブラハムは、現代イスラエルの祖といわれており、イスラエル国家を建立した当事者である、といわれています。

旧約聖書のなかで、アブラハムは「メソポタミア地方のウル出身」と記載されている、と考える識者は今も多く存在し(もちろん異説も存在します)、ギルガメシュがアブラハムなのではないか、ギルガメシュ叙事詩で描かれる洪水と、聖書の中の大洪水やノアの箱舟のエピソードは、同一の出来事を題材にしているのではないか、とも考えられています。

 

神という概念と宗教観の類似

日本の国や人の常識や宗教観の中には、「聖典と唯一の神」といった感覚があまりはっきり含まれておらず、欧米や中東の人々との価値観の違いや行動様式の違いを生んでいるのですが、特にキリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、宗教は違えど「聖典と唯一の神」といった考え方が、奇妙な一致を見せています。

ギルガメシュ叙事詩と旧約聖書の例も然りで、聖典と唯一神(「ヤハウェ」という言葉で表現されます)を信じる宗教をひとくくりにして、「アブラハムの宗教」と評することもあるようです。

複数の異なる宗教観を持つ宗教に共通する概念、そしてその根源的な部分、つまり「出発点」として位置づけられるシュメール人が、「どこから来たのか、何が(もともとその地にいた原住民と)違うのか」、を考察するうえで、「人種や政治的概念の違う別の人間である」、というよりも、むしろ「そもそも人間を超えた存在であった」という仮説のほうが、自然に成り立つのではないか、とも考えられます。

生物学的にも言語的にも通常の人間とは異なる存在を「神」とみなしてあがめた、という説も、あながちはずfれてはいないような気もしてきます。もしシュメール人が「通常の人間ではない、何らかの存在」であったとするならば、彼らは何者であったのでしょうか。

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カテゴリ: その他

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