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シュメール人はどこから来た?古代メソポタミア文明の起源はどこに

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世界四大文明のひとつであり、日本でも誰もがその名を知っているであろう古代メソポタミア文明は、現在のイラクのあたり、チグリス川とユーフラテス川という二つの大河に恵まれた地(メソポタミアという言葉は、もともと「川の間」という意味を持っている、とのことです)に、紀元前3500年頃から急激に栄えた文明である、といわれています。

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そのあまりの急激さゆえに、「メソポタミア文明を築いたというシュメール人は、もともと当地の原住民ではなく、どこかから移住してきた民族である」という説が学術的にも有力です。しかし、「シュメール人がどこから何のためにきたのか」は、明らかにされていません。

 

短期間で都市文明を作り上げる

紀元前3500年以降に絵文字やレンガ加工、農耕技術(「水路を巡らせて、広範囲に水を行き渡らせる」、「灌漑の実施方法」などといった技術を含む)、金属加工などをももたらしたというシュメール人は、ウル王朝やキシュ王朝をはじめとした都市国家統治も、短期間に成し遂げています。彩文土器や楔形(くさびがた)文字といった技術も、この時代に開発されている、とのことです。

その後紀元前2000年頃には、メソポタミア周辺の別の民族による国家が力をつけ、シュメール人による都市国家が覇権を失っていくと、ウル第三王朝という王朝を最後に、シュメール都市国家は滅亡、シュメール人は当地から姿を消してしまった、といいます(その後はバビロニア人による統治がおこなわれていきます)。多くの革新的技術と文化を開花させたシュメール人は、何者だったのでしょうか。

 

ギルガメシュ叙事詩はドキュメンタリー?

シュメール人の宗教観や、ベースとなる価値観を得る材料のひとつとして、ギルガメシュ叙事詩という文学作品が存在しています。これは、古代メソポタミア文明における伝説の王である、ギルガメシュを取り扱った物語である、とされています。

この作品が書かれた時期は紀元前2600年頃、シュメール人都市国家全盛のウルク期で、ギルガメシュは当時実在した王として描かれています。この作品は、現在のイラク北部にあるアッシリア遺跡の遺物のひとつとして19世紀に発見さたもの。その後の解読作業(大英博物館の関係者が主導して進めた、といいます)の中で、紀元前2900年頃に当地に起こったとされる大洪水の描写を含んでいることがわかり、完全なフィクションではなく、一部ドキュメンタリー的な要素も含んでいるのではないか、と考えられるようになりました。

洪水の件を含めて、現代における聖書との類似点も多数見受けられ、シュメール人の出自のヒントとなるような記述も多く含んでいます。

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カテゴリ: その他

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