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シュメール文化の始まりと進化…ウバイド期とウルク期


 
世界四段文明のひとつ、メソポタミア文明の原型とされていて、地球上に発生したあまたの文明のなかでも「最古の文明」との説も名高い古代都市シュメールは、紀元前5500年頃を皮切りに、紀元前3500年頃から急激に発展し、のちのメソポタミア文明につながっていった、といわれています。

文字を持たない民族(絵文字は存在していた)であったため、その実態がどのようなものだったのかは確証を持って語ることは難しいのですが、残された遺跡や伝承から、相当に聡明で先進性があったことが伝わってきます。

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チグリス・ユーフラテス川の沿岸地帯の農耕民族

シュメール文化の発祥は、紀元前5500年頃にチグリス・ユーフラテス川にやってきた農耕民族から始まった、とされています。当時彼らはウバイド人と呼ばれていたようです。一因として、この地は土壌が豊かで、耕作にも牧畜にも適しており、安定した暮らしをおこなうことができたのではないか、と考えられます。

その結果、土木技術の分野でも、石器時代から考えるとかなり先進的な取り組みがいくつもおこなわれ、泥、レンガなどを積み上げて神殿を作ったり、町の区画を計画・精査したりといったことが、この時期に実現されています。

 

紀元前シュメール文化の登場

しかしウバイド期は、比較的短命に終わったようで、紀元前3800年頃には滅んでしまったようです。考古学調査によると、この時期に周辺で水の枯渇による湖や河川の水位の低下、砂丘の形状変動などが確認されていて、豊かな土壌がこの時期の乾燥によって失われたことが、ウバイド期終焉の直接的な原因ではないか、とされています。

ウバイド期は、その以前の時代の暮らしとの比較において、革新的なものではあったものの、のちのメソポタミア文明やインダス文明などに見られるような、いわゆる「都市国家」の体をなしてはいませんでした。都市国家は、ウバイド期の次の時代、紀元前3500年から紀元前3100年頃のウルク期にその礎が築かれることになります。

 

支配階級や商人の登場

ウルク期には、それまでの時代には見られなかった、土木や美術の専門職人や、支配階級などの概念が出現しています。また、ウルク古拙文字といわれる絵文字が開発されたり、新しい工法でレンガ(プラノ・コンヴェクスといいます)が制作されたりと、文明の進化のスピードが急激に上がった、としか思えない事象が見て取れます。

ウルク期はその後も発展を続け、次の200年であるジェムデト・ナスル期では、土や泥の加工技術に加えて、金属加工の技術革新もおこなわれるようになります。

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カテゴリ: その他

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