> >

メソポタミア文明の原型?最古の都市文明シュメールとは

メガラニカ大陸
 
世界四大文明といえば、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明(メソアメリカ文明とアンデス文明を加えて、六大文明と評されることもあります)があげられ、これらは世界最古の文明としても有名なものなのですが、その中のメソポタミア文明の初期に、非常にユニークな都市文明が存在していた、といいます。それが、シュメールです。

スポンサードリンク


 

シュメールがあった場所

シュメールは、現在のイラクやクウェートがある地域、つまり、メソポタミア文明が栄えたという、チグリス川とユーフラテス川の間の土地で、高度な文明を誇った民族である、といわれています。

シュメールという言葉は、メソポタミア地方の南部のバビロニアに栄えていたアッカド帝国に住む人々が名付けた(「方言であった」ともいわれています)といい、このことからシュメールは、「言語学的シュメール人(シュメール人の言葉では「ウンサンギガ」といいます)」という表現をなされることが多いようです。

当時のものといわれている石器や肖像などが残されているのですが、他の時代には見られないもので、この時代のユニークさを際立たせるものとなっています。また、シュメール以前の時代の文化的進化のスピードを考えると、シュメールの時代は、文化、政治、農業手法など、あらゆる領域において、驚くべき進化、画期的な進歩を遂げています。この源泉は、とこにあったのでしょうか。

 

シュメールの歴史はいつ始まった?

シュメールの歴史は、紀元前5500年頃に始まった、といいます。学術的にはウバイド文化という名称で分類されており、メソポタミア文明が始まったとされる紀元前3500年よりも、実に2000年も前に存在していたことになります。

チグリス川とユーフラテス川の周辺では、さらに大昔である紀元前10000年頃には、新石器時代としての人間の暮らしは始まっていた、とされており、これが後のウハイド文化、さらにシュメール文化につながっていった、と思われます。

しかし、新石器時代からウバイド文化に至るまでの時期は、後のシュメール文化(ごく初期はウルク期と呼ばれています)、さらにその先のメソポタミア文明につながる大発展のベースとなるような痕跡はなかった、といいます。

メソポタミア文明が、現在にも語り継がれるほどの画期的な文明となった背景には、シュメール文化の時期の革命的な発展があった、といいます。この時期シュメールにおいて、いったい何があったのでしょうか。そしてそれは、事実として立証されているのでしょうか。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.