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王の中の王!アレキサンダー大王の逸話と人物像

オリンピアのゼウス像
 
伝説の大英雄アレクサンドロス3世、通称アレキサンダー大王は、古代ギリシアに栄えたマケドニア帝国を巨大な王国に育て上げたという、輝かしい経歴を持っていますが、その経緯の物語には、まるで漫画やフィクションの世界のようないわゆる「大活躍物語」としてのエピソード、逸話の類の伝承が後を絶ちません。

アレキサンダー大王は、「左右の目の色が異なっていた」、「天才しかかからないという、てんかんという病を患っていた」などといったよく知られたエピソードのほかにも、数々の伝説を残しています。

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戦士としても有能な人物だった

アレキサンダー大王は、父であるピリッポス2世の跡継ぎであったことから、一般的にいうところの「2世政治家」といえるのですが、家柄に恵まれていたことは事実であるけれども、指導者=リーダーとしてだけではなく、戦士=実務者としても、大変有能な人物であったことが伝わっています。

マケドニア帝国拡大の道中、アレキサンダー大王とマケドニア軍は、当時類を見ないほど過酷な行軍を続けていたのですが、アレキサンダー大王は将であるにもかかわらず、自ら行軍の先頭に立ち、最前線での直接的な戦闘もいとわなかったそうです。

もっとも当時のギリシアなどの戦術においては、リーダーが自ら身を挺して戦うことが、一般常識として浸透していたため、必ずしもアレキサンダー大王だけが特殊な例である、というわけではなさそうなのですが、率先して最前線に身を置き続けたにもかかわらず、時には重症を負いながらも総大将として生き延びたアレキサンダー大王は、兵士たちに絶大な人気と、大きなリスペクトを集めていたのです。

古今東西戦士というものは、なにをおいても「勇敢であり続けること」が求められるものですが、アレキサンダー大王は、まさにど真ん中の価値観とポリシーを持って活動していたようです。

 

イスラム社会における「イスカンダル」

ギリシアの一地方であったマケドニアを皮切りに、ペルシアやエジプトにまで勢力を拡大したアレキサンダー大王は、その人柄や、勢力拡大のために採用した方法などから、制圧した国々の民衆からも好意的に受け入れられるようなことも少なくありませんでした。このため、アラビアやペルシアといった中東圏でもアレキサンダー大王の逸話は伝わっていて、その名はイスカンダルという名に変化して現在に至っています。

今も東南アジア地域でイスカンダル(日本の某アニメのイメージから女性名と思われがちですが、実は男性名です)という名前は非常に一般的なのですが、そのルーツはアレキサンダー大王の東進と、それによって生じた文化の融合によるものである、と思われます。 今ではアレキサンダー大王の名は、中東などのイスラム圏だけではなく、中国、エピオピアといった地域にも広がっている、とのことです。

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カテゴリ: その他

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