カイロネイアの戦い…世界三大英雄アレキサンダー大王の初陣
ギリシア神話に登場するヘラクレスやアキレウスを祖先に持つという父母の間に生まれたアレキサンダー大王は、その血筋の良さのみならず、世界随一の賢者といわれるアリストテレスを家庭教師として育ち、大英雄になるべくしてなった、とも考えられる人物です。
教養を身に着けつつ、青年に成長したアレキサンダー大王は、父であるアルゲアス朝マケドニア王国のバシレウス、ピリッポス2世のもと、一軍の将という立場で、大英雄としてのキャリアを出発させます。
カイロネイアでの戦いに勝利をおさめる
アレキサンダー大王の軍人としての初陣は紀元前338年、当時のギリシアの南部に位置していたボイオティアのカイロネイアでの戦い、通称「カイロネイアの戦い」でした。この戦いは、アルゲアス朝マケドニア王国と、ポリスと呼ばれる当時のギリシアの都市国家であるアテナイ・テーバイの連合軍との間で繰り広げられました。
マケドニア王国の相手は、当時の古代ギリシアにおける最有力都市国家とされていたふたつのポリスであるアテナイとテーバイの連合軍という強力なものでしたので、初陣としてはかなり難易度が高かったことがうかがえます。
アレキサンダー大王の勝利
アテナイとテーバイは、ピリッポス2世によるアルゲアス朝の膨張に危機感をつのらせ、対抗する形で同盟を組んでいます。戦力は、アルゲアス朝マケドニア王国側は、歩兵と騎兵あわせておよそ22000、アテナイとテーバイの連合軍側はおよそ35000と、連合軍側が有利かに見えましたが、先攻したアルゲアス朝マケドニア軍が、第一波のあと後退して敵を追い込むという高等戦術を駆使し、見事勝利を収めます。アルゲアス朝マケドニア王国は、ファランクスという新手の密集陣形(集団がひとかたまりで敵を攻撃する戦術)をとり、連合軍を圧倒しました。
壊滅的なダメージを受けたアテナイとテーバイ連合軍は、アルゲアス朝マケドニア王国の軍門に下り、その後ピリッポス2世によって立ち上げられたコリントス同盟に加わります。わずか20歳程度のアレキサンダー大王は、この戦いによって名をあげ、ますますマケドニア王国の基盤を強化させることになりました。現在にも続くアレキサンダー大王の評価とキャリアは、まさにこの戦いによってまずは打ち立てられた、といっても過言ではありません。
マケドニア王国は安泰かに見えましたが、カイロネイアの戦いの後、ピリッポス3世とマケドニア王国は、思わぬ不運に見舞われることになります。