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竹取物語の謎…かぐや姫に恋した帝にもモデルがいた?

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5人の貴公子の求婚を、難題でことごとく退けたかぐや姫。その『竹取物語』の後半からクライマックスは、帝(みかど)とかぐや姫の淡い恋愛と月に帰る姫との別れの物語です。
それはどのようなお話で、かぐや姫との恋に落ちた天皇とは誰だったのでしょうか。

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かぐや姫にひと目惚れした帝

かぐや姫の美しさを伝え聞いた帝は、内侍(女官のこと)の中臣房子に見に行かせます。しかしかぐや姫は、その内侍にさえも姿を見せようとはしません。帝の勅命と言うのなら殺されてもかまわない、とまで言います。

帝はこれを聞いて、多くの貴公子の身を滅ぼした恐ろしい女性だと思いながらも、やはり手に入れたくなり、竹取の翁には五位の官位を与えるから参内させるようにと命じます。五位の官位は中央の貴族以外の者に与えられる最高位ですから、翁はなんとか参内させようとしますが、かぐや姫は死んでも帝に仕えないと言うのです。

そこで帝は、狩りに出かけるというかたちでかぐや姫の屋敷をふいに訪れ、かぐや姫に会ってしまいます。そして、その清らかで美しい姿にひと目で恋に落ちてしまうのです。

帝がなんとか連れて行こうとすると、かぐや姫は突然、姿を消して影になってしまいました。本当に普通の女性ではなかったのだと悟った帝ですが、やはりかぐや姫への想いは収まりません。それでも帝はかぐや姫を連れずに帰り、想いを歌にして送ります。かぐや姫からの返歌で帝のかぐや姫への想いはますます強くなり、手紙をやりとりする淡い恋愛がはじまったのでした。

 

帝とは誰だったのか?

5人の貴公子の求婚はことごとく退けたかぐや姫ですが、なぜか不意に会った帝とは手紙をやりとりするようになり、3年の間、お互いに心を通わせるようになります。それはどうしてなのでしょうか?

帝は最高位の権力者だからというのもあるのかも知れませんが、この世の女性ではないかぐや姫がそのようなことで恋に落ちることはないでしょう。ひとつには、帝つまり天皇とは天津神の直系の子孫であり、神から人間になった存在ということがあるのではないでしょうか。

さて、このかぐや姫と恋に落ちた帝のモデルとなった天皇は、誰だったのでしょう。
竹取物語の舞台となった時代設定は、5人の貴公子のモデルや実在の人物から奈良時代の前の飛鳥時代後半、天武天皇から持統天皇、文武天皇と続く時代だったとされています。3人の天皇のうち持統天皇は女性天皇ですから、帝のモデルは天武天皇か文武天皇ということになります。そのどちらであったのか、はっきりとした定説はありません。

文武天皇が15歳で即位したときに石作皇子=多治比真人嶋は73歳、阿部御主人は62歳、大伴御行は51歳、石上麻呂は57歳とそれぞれ結構な年齢なのですが、車持皇子=藤原不比等は男盛りの38歳。かぐや姫が5人に求婚されたときに13歳だろうと考えられていて、当時はかなり年上の男たちから望まれても別におかしくはありませんでした。

文武天皇は即位から10年後に、わずか23歳で亡くなってしまいます。5人の貴公子の求婚騒動が終わったのはかぐや姫が17歳のときで、文武天皇が帝のモデルだとすると、もしかしたら共にまだ10代の初々しい恋愛だったのかも知れません。

 

かぐや姫が地上に降ろされた理由

この淡い恋愛は、かぐや姫が19歳のときに突如終わりを迎えてしまいます。
8月15日の月夜に、月の国の都から迎えがやってくるというのです。それを聞いた帝は、阻止しようと少将の高野の大国という人を勅使として2,000人の武官を屋敷に派遣し、かぐや姫を護らせます。しかしそんな人間の武力は、月の国の都からの迎えに通じるものではありませんでした。

武者たちがなにもできないなかで、月からの迎えの行列にいた王と思われる人から、はじめてかぐや姫が地上に来た理由が語られます。それは、かぐや姫が月の世界で罪を犯し、それを償うために地上に降ろされたということでした。

かぐや姫の罪とは何だったのか、そもそもかぐや姫とは誰だったのか、謎はまだまだ残ります。

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